鎌倉後の世界 Vol.7
鎌倉後の世界を書いている理由の一つに、コロナという未曾有の見えない自然災害に出会った時、どのように行動したかを記録しておくことにある。
今これを書いてるのは、2024年の9/27(金)の7:30くらいで、今月も残すところあと3日となっている。
鎌倉後の世界 を書いている理由の一つに、コロナという未曾有の見えない自然災害に出会った時、どのように行動したかを記録しておくことにある。
全ての行動が良かったとか、正しかったとも思っていないのだが、ある程度記録しておくことで、「未来の世界で起こる何かの時の一助」になることを願って止まない。

鎌倉シャツには「鎌倉」がある。
そんなことは当たり前だ、という声が聞こえてきそうだが、私がそのことに心から気付いたのはコロナ禍になってからだ。
コロナ以前の世界、ここで言うところの鎌倉前の世界は、行き過ぎた資本主義が限界を迎え、それがコロナ・ウイルスとなって人類を襲った。
数字、効率、KPIやサイエンスだけに捉われ、闇雲にそれらを追求した結果、人々は幸せになったのだろうか。
自分の直感や感性を信じてシンプルに行動した方が、人生の楽しみや喜びは倍増していくのではないだろうか。
私自身、こういったことを考える暇や時間もなく、海外を中心に動き回っていたのだが、コロナで人流が途絶えた時、幸いにも立ち止まることが出来た。
そして、私はコロナ禍になってから、鎌倉シャツが生まれた「鎌倉」をじっくりと見て回ったのである。

子供の時から見てきた鎌倉とはまるで違う、人のいない鎌倉は神秘そのもので、大人になってから見る鎌倉は眩しく光り輝いていた。
そう、私はその時、多くの外国の方が鎌倉を神秘に思うのと同じか、それ以上の感情を持ったのである。
その理由は、私がコロナ以前、フィジカルだけでなくメンタル的にも海外にどっぷりと浸っていたからに他ならない。

コロナのように何か大変なことが起こった時、最も恐るべきは「停滞」で、何も手立てやアイディアがないことが最大の恐怖となる。
緊急事態宣言が発出され、東京が機能停止、海外への活路が見出せなかった時、鎌倉シャツに「鎌倉」がなければ何をやっていたのだろうか。
それくらいホームがあるという素晴らしさ、そしてこの美しい場所が、豊かな自然と文化を持ち合わせていたことは、幸運という以外に言いようがなかった。
東京にいては見えない価値が、創業の地であるここ鎌倉にあったのである。
そんな幸運と、運命や天命を感じながら、コロナ禍という厳しい状況の中、鎌倉での日々が始まった。
つづく
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