鎌倉後の世界 Vol.1
このブログでは鎌倉シャツが「2020年に鎌倉回帰した後の世界」の話を主に書こうと思っている。
またまた、新シリーズがスタートしてしまった。 その名も「鎌倉後の世界」である。
今このブログを書いているのは京都・烏丸御池の定宿(かっこつけてるが単なるビジネスホテル)のすぐそばのスターバックス・コーヒーで、2023年5月11日(木)の朝7:40である。
これから、奇跡的にアポイントが取れて大徳寺・瑞峯院の前田住職にお会いし、神戸に移動し、名古屋に一度下車して鎌倉に帰る予定になっている。
今回の出張もなかなかハードだが、体調は極めて良好だ。
最近夜出歩かず、アルコールを飲まなくなってからは体力が温存され、さらに朝も早くなり、嬉しいことに読書や文章を書く時間が無限にあるように感じている。時間がたくさん出来てしまったので、良い意味で人生が伸びてしまったという感覚がある。
もちろん、夜出歩かなくなったといっても、必要な会食には当然参加しているし、昨日は京都で300年の歴史を誇る懐石料理の老舗・美濃吉の社長さんと夜をご一緒させていただいた。
作務衣やボタニカル・ダイを通じて京都にはよく来ているが、大変有り難いことにお寺関係や異業種の方々に大変良くしていただいている。
と、ここまで書いて「鎌倉後の世界」という新シリーズがスタートしたわけなのだが、このブログでは鎌倉シャツが「2020年に鎌倉回帰した後の世界」の話を主に書こうと思っている。
「鎌倉前の世界」の私が(ヨーロッパ中心に世界の生産地を巡っていた)、今の私を見ても全く信じないだろう。
「大徳寺~、京都で美濃吉の~、お寺や異業種~」など、謎でしかないように思う。
ところが、一件アパレルという本業に関係ないようなところから、新しいアイデアやビジネスが生まれ、その化学反応ほど面白いものはなく、今後この動きはさらに加速していく予定だ。
数年前までの自分が、今の自分を見た時に全く信じないと思われるような自身の「変化」はとても楽しく、エキサイティングだ。
鎌倉に回帰する2020年以前の私は、創業者達の教えを忠実に守り、洋服が生まれた欧州の生産地や本場の優れた人々に出会う旅を続けていた。そこで得てきた情報や体験、インプットはとてつもなく大きく、今でもかけがえのないものであるが、私が鎌倉に回帰していく中で面白かったのは、自分が(海外ばかりに意識を向けていたので)「外国人」のように感じられたことである。
鎌倉が何よりも新鮮で、美しく、普遍でありながら、先進的というか、欧米にはない独自の時代性を感じた。
外国の方で熱心に鎌倉や京都など日本を観光する人達は、きっとこんな感じ(新鮮で、美しく、最先端)なのだと思う。
私は鎌倉に対して「自分が外国人のようなイメージを持ちながら、生まれ育った場所」という奇妙な感覚の中で回帰をしていくことになったのだ。
そして、まず鎌倉シャツが鎌倉回帰を果たすためには、あらゆるクリエィティブな活動が可能になるオフィスを作る必要があった。
鎌倉から物を作る時のインスピレーションを受け、WEBページやカタログなど含む全ての創作活動はここで行わなくてはならない。
鎌倉の「美しい海」にはビーチカルチャーがあり、「豊かな山々」には寺社仏閣という今でも最先端のフィロソフィーと伝統を持ち、「その間にある街」には芸術家、小説家、音楽家など多くのアーティストが住むことで独自の文化を形成する。
当たり前だが、「服」も文化を形成する大切な要素なので、そのクリエーションを生むには「鎌倉」が最適なのである。
それらを実現するためには、オフィスを作るのも必要でだが、私自身も鎌倉に居を構えなくてはならない。
鎌倉の空気を朝から晩まで吸って、体験を積み重ね、実践していく必要がある。
そこでとっさに選んだ(でしまった)のが、都落ちとも思われるような簡易的なアパートだった。当時の私はしんどいローンを払い、都内近郊の家に住んでいたのが、鎌倉回帰を決意するや否やマンションを即座に売却し、簡易アパートの賃貸暮らしとなった。
その時の私にとっては最良と思ったアパートだったが、人からは「よくもまあこんなところに住むことを決めたね」と言われたこともあった。禅の達人は畳一枚、布団一枚あれば生きていけるそうだが、私の借家は簡易アパートといっても60平米もあったわけだからそれほど狭いわけではない。(ちょっとボロいだけ)
私自身は、周囲の声に対して住む家にプライドも執着もないので気にしなかったが、そんな簡易アパートから「鎌倉後の世界」はスタートしたのだった。
つづく
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