鎌倉後の世界 Vol.2
このブログでは鎌倉シャツが「2020年に鎌倉回帰した後の世界」の話を主に書こうと思っている。
今このブログを書いているのは、2023年の9月8日の8:00を回ったところである。
あらゆるところに文章を書いていると、社員から感想をもらうことも多くなってきていて、少しでも彼らの何かの足しになればと考えている。
先日は、鎌倉シャツの全社員が半期に一度集まる「社員招集」なるものがあり、その時に以前鎌倉本店で店長をしていた濱中からブログの感想をもらった。
濱中は、私やクリエィティブを作るメンバーがコロナを機に鎌倉へ回帰し始めていた頃、鎌倉本店の店長をしていて、このブログのタイトルにもなっている「鎌倉後の世界」の始まりを一番近くで体感していたように思う。
Vol.1でも書いた通り、コロナの前は広尾のオフィスを中心に海外を駆け回る日々を過ごしていた、私が、毎日鎌倉にやってくるようになった。濱中は何事かと思ったに違いないのだが、いつも優しい笑顔で私達の協力をしてくれていたのである。
また、現在は自由ヶ丘店の店長を立派に務めてくれており、今回の社員招集では一回りも二回りも成長した濱中と楽しい話をすることが出来た。
もちろん、今回の社員招集では濱中だけでなく多くの社員の成長を感じることが出来て嬉しいばかりなのだが、私としても自身の更なる成長を心に誓ったのである。
前置きが長くなってしまったが、鎌倉後の世界Vol.2に戻りたいと思う。
2020年の春から始まった私の鎌倉生活は、謎の簡易アパートから始まったわけだが、毎日が新鮮で楽しかった。
20歳くらいまで 鎌倉→横浜の港北エリア→品川→イタリア・ボローニャ→ミラノ→都内近郊→鎌倉 に戻ってくるまで実に20年を要したことになる。
今まで住んでいた場所にはそれぞれ良さがあり、気に入っていたのだが、やはり20年振りの鎌倉は私にとって格別だった。都心から僅か1時間足らずの場所に、豊かな自然やビーチ・カルチャーを持ち、素晴らしい寺社仏閣が100以上連なる場所は鎌倉以外にはない。
私は鎌倉に戻ってきて初めて、こんなにも豊かな場所で生まれ育ったことに気付かされ、感謝する日々を過ごすことが出来たのである。
子供の頃は、祖父母が材木座海岸で海の家をやっていたこともあって、毎年夏にあると友達と海に出かけ、「つぶつぶオレンジ」を飲み、やきそばを作ってもらって食べるのが何よりの贅沢だった。
海の家での飲み食いほど美味しいものはないと本気で思っていた。
また、海の家の物をお金も払わずに飲んだり食べたり出来た(もちろんつぶつぶオレンジは1日1本までだった)ことは、子供の私にとってすごい特権であり、夢のような夏休みが続いた。
トイレから聞こえてくる134号線を走る車やトラックの音を聞きながら、ずっと夏休みが続けばいいのにと思ったものである。
私が鎌倉に戻ってきてしばらく経った2020年6月初旬の鎌倉は、紫陽花が少しずつ咲き始め、時折雨も降るが、過ごし易い気候で、歩いて回るのに最適な季節だった。
早朝の海や山、そして人のいない鶴岡八幡宮や禅寺は神秘そのもので、「鎌倉」は圧倒的な美しさを放っていた。
先の見えないコロナ渦にあって、世界中探してもどこにもない特別な場所を発見してしまったように思った私は、「鎌倉から再スタートするストーリー」こそが次の鎌倉シャツを作ると考えたのである。
私がこれま見てきたでイタリア、フランス、イギリスの「世界トップレベルの洋服のクリエイター達」は例外なく土地を背景に持っている。
コロナ前の私は、「美しい背景や文化的な歴史から語られる洋服の世界の人達には追いつけない、しかしいつか必ず追いついてみせる」と大いに力んでいた。ところが、こんなにも身近に、そして社名にもなっている場所である「鎌倉」が持つ美しさやエネルギー、文化や歴史は世界中どこにも負けていないことに気付かされた。
毎日、早朝の鎌倉を歩くことで、この土地の持つ素晴らしさ、圧倒的なパワーを体感することが出来た。
さて、そんなわけで何から始めようかと思ったのだが、何の手がかりもなく鎌倉をぐるぐる回り、日中は図書館に通う日々が続いたのだった。
つづく
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