アイビールック の A to Z【Q】
私の親しい友人であるトニー·ヌールマンドは、しばらく出張のためにイタリアにいた時にジッパー付きのキルティングベストが内側についた素晴らしいアイビーツイードジャケットを手に入れた。
KAMAKURA SHIRTS A to Z OF THE IVY LOOK
著者/イラスト グレアム·マーシュ
“ヒップとは、巨大なジャングルに暮らす聡明な原始人の知恵である。”
-ノーマン·メイラー
Q|キルティングジャケットとクォディー(Quoddy)
私の親しい友人であるトニー·ヌールマンドは、しばらく出張のためにイタリアにいた時にジッパー付きのキルティングベストが内側についた素晴らしいアイビーツイードジャケットを手に入れた。内側のベストのジッパーを閉めジャケットのボタンを留めるだけでイタリアの寒い冬を、いやどの国の冬も過ごすことができる逸品だ。事実、私が初めてキルティング素材で普通の形をしたジャケットと出会ったのは、イタリア人が着ている姿を目にした時が初めてだった。まさに持ち運び可能で完璧な暖房器具のようなものだ。
キルティングジャケットは、都会で出かけるときでも田舎で乗馬や釣り、狩りをするときでも、ほとんどの場面で着ることができるアイテムだ。キルティングという言葉は、2枚以上の生地を重ねて装飾的もしくは直線のステッチを施す意味をさす。キルティングの中でも、縫い合わせる生地と生地の間に中綿や心地を入れて立体的でダイヤモンド型の縫い柄が入っているものをよく見るだろう。「キルト」という言葉の語源は12世紀のイギリスにあるとされており、ラテン語のクッションやボルスター(※)を意味する”cucita”に由来する。
※ボルスター:ホテルのベッドの上に用意されている、円錐状のクッション
今私たちが知っているキルティングジャケットは、1965年にスティーブ·ガイラスと彼の妻であるエドナによって作り出された。ガイラスは米国空軍にいたのだが、ある病気により視力に影響が出てしまい強制退団をさせられてしまったため、イギリスへ移ったのだった。イギリスの田舎町に落ち着いてすぐ、冒険心に溢れていたガイラスはそこで3つのビジネスを開始した。彼の愛犬ハスキーにちなんで、会社名はHusky Ltd.となった。ハスキー社はサーマルジャケットとキルティングジャケットを生産した。キルティングジャケットは街中でも見かけるようになり、英国王室にも納品をしていたとされている。2つ目に乗馬ビジネス、そして最後には釣り具ショップも経営していた。
ガイラスが最初にデザインしたキルティングジャケットは、ガンシューティング用にポリエステル素材で防水性のあるキルティングベストであった。このベストは販売開始後すぐにイギリスのカントリーハウスの一部で人気を博したことをきっかけに、ガイラスはジャケットの形でも作ることも決めたのだ。初めはカラー展開もオリーブグリーンとネイビーブルーの2色のみだった。エリザベス女王が乗馬の際に、ブラウンのコーデュロイ生地の襟が付いたハスキー社のキルティングジャケットを着たことをきっかけに、すぐにイギリスやヨーロッパのセレブの間での流行となった。
1980年代には、イギリスのスローンレンジャースタイルの定番の一つとなり、その後アメリカへと移り渡った。ガイラスは1990年代にアメリカへ帰国後アンティークを取り扱うビジネスを開始し、自分の会社をイタリアのサヴィエロ·モスキーロに売却した。現在でもキルティングジャケットを生産しているブランドだ。それ以来、様々なキルティングジャケットを生産する会社は数多く存在する。イギリスでは、BarbourとJohn Partridgeが典型的なキルティングジャケットを作っているが、よりファッショナブルなディテールを求めるならバーバリーだろう。
イタリアにはキルティングジャケットの選択肢はたくさんあるが、特にミラノの若者たちの間で人気だ。Lorno Pianoはカシミヤ入りの高級品を出しており、ミラノのBoggiではよりリーゾナブルなものが手に入る。アメリカでは、ラルフローレン、ブルックスブラザーズやL.L.Beanが定番として出している。国際的に有名な日本の企業であるユニクロは、ビジネス全体を支えるほどの低価格で高品質なキルティングの生産を可能としている。もちろん言うまでもないが、キルティングジャケットはアイビーファンにとっても欠かせないアイテムで、すべての人のワードローブに1着はあるべきだ。
Qから始まるアイテムと言えば、クォディーもある。デッキシューズはもはや船乗りだけのものではなく、スニーカーに継ぐカジュアルウェアの代表的な存在になってきている。その中でもクォディーのボートモカシンほど快適で丈夫なものはない。メイン州で手作りされているアイビー御用達のモカシンだ。私も10年前に一足購入したが、今でも状態よく履けている。クォディーのモカシンの人気が出たのは1950年代から1960年代にかけてのことだ。この美しい手縫いで一切の無駄のないデザインのモカシンが直接手に入ることで有名だったウィグワムストアのあるメイン州で、アイビーリーグ大学の学生たちが夏休みのサマーキャンプをして過ごしたことがきっかけだ。
とても魅力に溢れるモカシンの歴史にはロマンチックなストーリーがある。それは、1947 年にアンとジャックのシュピーゲル夫妻による買収だ。ハネムーンでメイン州に訪れた夫妻はメイン州に惚れ込みクォディーブランドを買い、1970年代ごろまで会社は繁栄し続けた。その後、シュピーゲル家はR.G.バリー社へ売却をしたのだが、悲しいことにR.G.バリー社はウォーべリン社へ売却をしたのちに、このブランドは休眠状態へと入ってしまった。
しかし、幸運なことに1990年代にこのブランドはまたメイン州の市場へと戻ってきたのだ。それは、アメリカで靴職人の4代目であったケビン·ショーレイと彼の妻のキルスティンがワシントンDC近郊での会社員を辞め、メイン州のペリーという町にあるパサマコディベイの近くでより充実した生活を送ることを決意した時だった。クォディーというブランド名はこの湾の名前とメイン州東部に済むパサマコクォディ族から生まれた。彼らは手縫いのモカシンを中心としたクラフトマンシップの伝統のある部族であった。ショーレイ夫妻はラッキーなことに、オリジナルのクォディーモカシンを作ることになる非常に優秀な作り手の一人と出会うことができたのだ。彼は、高齢であったためにフルタイムで働くことができなくなっており、この真に美しいモカシンを作る技術の継承に賛同してくれたのだ。現在では、クォディーは再び人気なブランドとしての姿を取り戻し、ブーツやローファー、チャッカブーツ、オックスフォード、ブルーチャー、そして最も人気のあるボートモカシンなど、様々な種類で展開している。
次は、R。
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