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アイビールック の A to Z【K】

あれは2010年の夏のことだった。鎌倉シャツの創業者、貞末良雄の妻であり、明るく活発な鎌倉シャツの社長でもあった貞末民子が私に初めて鎌倉シャツを紹介してくれたのだ。

2023.08.02 読む、服の知識・歴史

KAMAKURA SHIRTS A to Z OF THE IVY LOOK
著者/イラスト グレアム・マーシュ

K|鎌倉シャツ

あれは2010年の夏のことだった。鎌倉シャツの創業者、貞末良雄の妻であり、明るく活発な鎌倉シャツの社長でもあった貞末民子が私に初めて鎌倉シャツを紹介してくれたのだ。きっかけは、民子がパリを訪れた際に私の著者’The Ivy Look, An IIlustrated Pocket Guide, Classic American Clothing’と出会ったことだった。本の中にはアイビーリーグファッション好きの日本人を特集したページがあり、皮肉にも良雄と民子が1960年代に共に勤めていたVANの服について取り上げていた。民子はその本を日本へ持ち帰り、夫の良雄に見せたのだった。



日本でのビジネスを成功させてきたこともあり、民子は良雄が長年の夢であったニューヨークに店舗を持つことを叶えようとしていることを知っていた。民子は私に、この小さな本が彼の次なるチャレンジを後押したことを教えてくれた。良雄はすでにマディソンアベニューで物件を見つけていたのだが、この小さな本のおかげで物件のオーナーに鎌倉シャツがNYでも成功する見込みのあるチャレンジャーであると納得してもらえたのだ。



鎌倉シャツは私と共著者のジョン・ゴールを探し出し、本の中の日本特集ページと表紙をNY店のオープン広告に使いたいと申し出てきたのだ。それは私たちにとっても心踊らされる話であり、NY店のオープニングには海を超えて招待をしてくれたのだ。そこで、後に両親の引退とともに鎌倉シャツの経営を引き継いだ娘と息子の奈名子と哲兵にも出会った。この旅の間、ハリケーン・サンディが同じ時にNYに上陸したことで1週間の滞在延長を余儀なくされ、少しドラマチックな旅となった。

鎌倉シャツマディソンアベニュー店のオープニングレセプションにて。

左から順に:ジョン・ゴール氏、グレアム・マーシュ氏、貞末民子元社長、貞末良雄会長


私は1960年代にアイビーファッションと出会ってからずっとアイビースタイルでいるからこそ、鎌倉シャツがあの時代の本物のボタンダウンシャツを作れたらどんなにいいだろうと思った。実際に私自身も、上質なコットンシャンブレーで作られたシャツをなかなか見つけることが出来ずにいた。しばらくして良雄と哲兵がロンドンを訪れた時に、私たちはコベントガーデンにあるルールズレストランで食事をした。彼らはこの時に私の想いを真剣に受けとってくれ、素晴らしいクオリティのシャンブレーシャツと上質で柔らかなオックスフォードシャツの製品作りを実現したのだ。それらはまさに、私の理想とするシャツたちだ。

ロッカーループや天然貝ボタン、絶妙なロール感を出すための襟の長さなど、本物のボタンダウンには欠かせないディテールを全て描き起こしたイラストを提出し、その仕上がりに私はとても満足だった。細かいようでこのディテールたちが違いを生むのだ。鎌倉シャツはこれらのシャツをVintage Ivy Collectionとしてブラント化することに賛同してくれた。このコレクションに一つ遊び心を加えたいと思い、私は店頭でもオンラインストアでもVintage Ivy Collectionのシャツに私のイラストポストカードを同梱することを提案した。ポストカードには、私が子供向け絵本’Max and the Lost Note’で登場させたマックスという名の猫を使っている。マックスはアイビーリーグファッションを身につけた猫の作曲家であり、ピアノのチューニングをしている最中に音符を無くしてしまうのだ。最後には、彼は自分のペニーローファーの靴底からその音符を見つけるのだが、、、!それはさておき、付録のポストカードでコレクションのシャツをマックスは着ていて、彼の様子を説明する文書とシャツについての解説をつけている。ちょっと変わった形だが購入してくれる人たちへのオマケのようなものだ。

2013年に、鎌倉シャツは私と私の妻のジューンを東京の中心に広がる地上階のナイトクラブCROSS TOKYOで行われたアイビースタイルパーティに招待してくれた。パーティーのテーマは「Back to the 1960s」、60年代を思い出す素晴らしい夜だった。ここで私たちは初めて生産チームや生産工場のオーナー達にも会った。民子、良雄、奈名子、哲兵の4人がこのパーティーのホストを務めてくれた。会場にいた皆が、アイビースタイルにドレスアップし、60年代の音楽に身体を乗せてダンスを楽しんだのだ。年配のゲストの中にはとてもお洒落なアイビールックを見にまとい、素晴らしいダンスを見せてくれた。とても楽しい夜であり、熱心な鎌倉シャツのチームメンバーに感謝を伝えられるとてもいい機会となった。

当時、私と日々のやりとりをしてくれていたのが、英語が堪能でチャーミングなエミリー・ラボーンというスタッフで、彼女が異動してからは、日坂幸大郎が担当してくれている。彼は、同じくアイビーをこよなく愛する男の一人だ。彼らのおかげで私の想いを伝えるのに迷うことはほとんどなかった。この2年間は小売業にとって大変な時期で、鎌倉シャツもNYにはもう店舗を構えていないが、彼らのグローバルオンラインストアはこれまでと変わらず強い存在であり、これからもそれは続いていくだろう。



1993年、貞末民子と貞末良雄は東京の南に位置する歴史の街、鎌倉で小さなシャツ屋をオープンした。彼らのビジネスモデルは手頃な価格で高品質の商品を提供することを可能とした。このビジネスモデルは、VAN Jacketの創業者である石津謙介が「私の掲げるビジョンを受け継ぎ、日本人男性をお洒落にする人はいないのか?」と言ったことがきっかけだった。全てはこの一言から始まったのだ。良雄と民子はどちらもVAN Jacket出身であり、このVAN Jacketというブランドは1960年代から70年代にかけてアメリカのアイビーリーグファッションを日本中に広めたのだ。



石津謙介は、こんなことも言っている。「戦後の日本の復興期にアパレル企業を立ち上げ、国際企業では無視することのできない洋服のマナーを日本人に教えることが私の仕事だった。」VANがついに閉店してしまった時に、日本のメンズファッションは著しく悪くなった。「私のビジョンを引き継いでくれる者は現れなかった。」石津謙介がこう言った時、良雄はすかさず答えた。「私がドレスシャツ専門店を開きます。」



メーカーズシャツ鎌倉という(海外へはKamakura Shirtsという名で進出した)会社は、「いつかこの美しいシャツは誰しもが知るシャツとなり、アイビーリーグファッションをこよなく愛する人たちにも着てもらいたい。」そんな想いから鎌倉のコンビニエンスストアの2階から始まったのだった。



鎌倉シャツは創業当初から、素材の品質はもちろんのこと、全て日本の縫製工場による高水準のものづくりにこだわってきた。日本の縫製技術は、その正確でありながら卓越した職人技から世界最高峰と言われている。私が名付けたVintage IVY Collectionに並ぶ一枚一枚のシャツも、間違いなくこのこだわりの逸品である。



鎌倉シャツの多くはビジネスマン向けのドレスシャツでありVintage IVY Collectionはカジュアル向けラインではあるが、全てのシャツがリーズナブルな価格で高品質のシャツを届けるという会社の哲学の上で作られている。

鎌倉シャツのNYマディソンアベニューでの一号店の前にて、誇らしげな様子で写る貞末民子元社長と貞末良雄会長



貞末家は、古くは江戸時代(17世紀~19世紀)の商人だった。良雄は小さいころに父親から貿易の原理や商人としての心得を教えられていた。それは、身分の高いサムライ以上に威厳と誇りを重んじる商人だ。良雄は真の商人としての道を歩み、今や鎌倉シャツの経営をする彼の子供達もそうしてきた。鎌倉シャツのグローバルオンラインストアは、日本の芸術や文化同様に、細部までのこだわりがしっかりと収められている。彼らは必ずお客様を第一に考え、お客様に喜びを与えることへの研究や追求に妥協を許さないのだ。



最後に言っておかなくてはいけないが、鎌倉シャツのVintage IVY Collectionというラインが現在の仕立て購買者のニーズに沿う形で広がっておりさらには、時代に左右されず幅広い年齢層の男女が職種を問わずに手に取れる商品となっていることに私は非常に満足している。



次は、L。ローファーとしよう。


ブログ内イラスト ©︎ Graham Marsh

ボタグレアム氏とコラボした
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