松下幸之助を考える Vol.7
さて、今回の松下氏の話だが、「志を立てよう」について考えてみたいと思う。
今、このブログを書いているのは、2025年5/2(金)の7:30を少し回ったところだ。
前回の Vol.6 を確認してみると、今回の更新までおよそ一年かかったようで、自分で書いておきながらその遅さ(新しいタイトルを立て続けに始めていることも一因)に驚いているところである。
月日が流れるのが早いのはもちろんなのだが、そもそも、このブログ(松下幸之助シリーズ)を書いている意義はなんだったかを考えてみることにした。
偉人の言葉から、現在のVUCA※と呼ばれる混迷を極めた世界を生き抜くヒントを得たい、というのが主な趣旨だったはずで、もう一つは読書したもの(インプット)をアウトプットする習慣で始めたような気がする。
VUCAとは
Volatility(流動性), Uncertainly(不確実性), Complexity(複雑性), Ambiguity(曖昧性) のそれぞれの頭文字を取ったもの
現代社会は活字離れが進み、人々は15秒以内の動画にしか反応しない世の中になってきているそうである。
一方、私自身のインプットは活字からが大半であるものの、動画の親しみやすさを否定するつもりではない。ただ、活字を読むことはインプットの他に、考える力を養うことが出来るのではないだろうか。
そして、その考えたことをアウトプットして初めて、その人の「物」になるのである。
さて、今回の松下氏の話だが、「志を立てよう」について考えてみたいと思う。
志を立てよう
志を立てよう。本気になって、真剣に志を立てよう。生命をかけるほどの思いで志を立てよう。 志を立てれば、事はもはや半ばは達せられたといってよい。
志を立てるのに、老いも若きもない。 そして志あるところ、老いも若きも道は必ずひらけるのである。
今までのさまざまの道程において、いくたびか志を立て、いくたびか道を見失い、また挫折したこともあったであろう。 しかし道がない、道がひらけぬというのは、その志になお弱きものがあったからではなかろうか。
つまり、何か事をなしたいというその思いに、いま一つ欠けるところがあったからではなかろうか。
過ぎ去ったことは、もはや言うまい。かえらぬ月日にグチはもらすまい。 そして、今まで他に頼り、他をアテにする心があったとしたならば、いさぎよくこれを払拭しよう。
大事なことは、みずからの志である。みずからの態度である。
千万人といえども我ゆかんの烈々たる勇気である。実行力である。
志を立てよう。自分のためにも、他人のためにも、そしておたがいの国、日本のためにも。
(『道をひらく』より抜粋)
このブログを読んでいる方の中にも、元旦に一年の計などを考え、様々な決意をして、それらを表明することも多々あるだろう。
私もいつも偉そうにあれこれ言ってはいるが、志を決め、実行しては挫折の繰り返しの人生を送ってきたことは否定出来ない。
特に、お酒を止めるまでには二年以上の歳月を要し、その間挫折しては、自分に負ける日々を繰り返してきた。
会食の席や、お酒を飲む席で「なんでお酒を止めたのですか? よく止められましたね!」と言われて困るのが、私はお酒を否定しているわけではないことにある。
長年、お酒を飲んできて思うのは、「お酒より美味しいものはない」と断言することも出来る。
そんな美味しいものを止めてどうするのか? どんなメリットがあるのか?
私の答えは「特にない」である。
「Nothing」という答えは松下氏が傾倒していた「禅」にも通じる教えで私自身も気に入っているのだが、それは、メリットを求めないことにある。
世界の大半の人が信仰しているユダヤ教、キリスト教、イスラム教は聖書やコーランなどに書いてあることを忠実に実行して、神の教えを守ることで救われる。
つまり、「プラスのポイントを蓄えていくことで最終的には天国に行く希望を持つ」教えとも言えるだろう。
一方、禅は「日々の生活から色々なモノ、ヒト、コトをマイナスをしていき、良い所に落ち着く」教えと言われている。
幸せとはなんだろうか。(だんだん話が逸れて壮大になってきたな)
それは「精神状態が良いこと」にある。
どんなにお金があって人が羨むような生活をしていても、病んでいる人は多い。
幸せになるために、お金を稼ぎ、別荘やクルーザーを持ち、予約の取れない店で食事をして、めちゃ高いワインを飲んでいるはずなのに、どこか満たされない人達がいる。
私から見れば羨ましく、贅沢な悩みと思うのだが、彼らの闇は深い。
なぜなら、人間の欲には際限がないからだ。
そして、人によっては、アルコール中毒になったり、違法薬物に手を染めたりすることもあるだろう。
しかし、どんなことをしても人間の欲が満たされることはない。
そこで、自分を見つめ直し、モノ、ヒト、コトをマイナスしていくZENの考えがスティーブ・ジョブズや、ザッカーバーグなどによって再発見されたのである。
また、松下氏は、南禅寺の柴山全慶や大徳寺の立花大亀などと深い親交関係があり、その禅的学びを経営に生かしていたことで広く知られている。
「志を立てよう」には、プラスだけでなく、マイナスの要素を見出すと新しい発見が見られるかもしれない。
つづく
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