松下幸之助を考える Vol.5
「松下幸之助を考える」シリーズもいよいよ第5弾を迎えているが、今回は『道をひらく』より「本領を生かす」を引用しながら個性について考えてみたい。
今これを書いているのは、2024年の1/3(水)の20:00を回ったところである。
「松下幸之助を考える」シリーズも いよいよ第5弾を迎えているが、弊社ジェネラルマネージャーの大出が松下幸之助のファンのようで、いくつか書いているブログの中で一番読んでくれているのがこのシリーズだそうである。
一方、小学校の同級生で田中君という鎌倉彫の職人がいるのだが、彼にとっては、このシリーズは難しくて読みにくいそうである。
面白いもので、同じ文章を読んでも人によってその捉え方は千差万別で、響くことや響かないことも人によって違う。
学校教育や、会社でもその効率の良さから理解度含めて均一化を求めがちだが、「個性」こそが大切であり、尊重されなくてはならないのである。
そんなわけで、今回は『道をひらく』より「本領を生かす」を引用しながら個性について考えてみたい。
本領を生かす
「完全無欠をのぞむのは、人間の一つの理想でもあり
またねがいでもある。
だからおたがいにそれを求め合うのもやむを得ないけれども
求めて なお求め得られぬままに、知らず知らずのうちに
他をも苦しめ、みずからも悩むことがしばしばある。
だがしかし、人間に完全無欠ということが本来あるのだろうか。
松の木に桜の花を求めるのはムリ。
牛に馬のいななきを求めるのもムリ。
松は松、桜は桜。
牛は牛であり馬は馬である。
つまりこの大自然はすべて、個々には完全無欠でなくとも
それぞれの適性のなかでその本領を生かし
たがいに与え与えられつつ
大きな調和のなかに美とゆたかさを生み出しているのである。
人もまた同じ。
おたがいそれぞれに完全無欠でなくとも、それぞれの適性のなかで
精いっぱいその本領を生かすことを心がければ
大きな調和のもとに自他ともの幸福が生み出されてくる。
この素直な理解があれば
おのずから謙虚な気持ちも生まれてくるし
人をゆるす心も生まれてくる。
そして、たがいに足らざるを補い合うという
協力の姿も生まれてくるであろう。
牛はモー、馬はヒヒン。
繁栄の原理はきわめて素直である。」
(『道をひらく』より抜粋)
私は、松下氏の著書の中で時折見かける「大きな調和」という言葉の素晴らしさに感銘を受けている。
「一人一人が完璧でもなくても大局や大きな視野の中で完璧に近づければいい」という考え方は決して古びることはない。
しかし、日本におけるこの考え方の浸透度は限りなく低い。
個性的であればいいのだろうか?
それもまた違い、個性も大きな調和の中に入るバランスを持ったものでなくてはならない。
バランスとは、「時間を守る」「お礼が出来る」「お金にだらしなくない」の三つであり、最も大切なことではないだろうか。
「バランス感覚を持った個性」が理想だが、近年問題視されている「同調圧力」や「限度を知らない行動」が散見される中、ちょうど良いところに収まるのは難しい。
田中君は大出にはなれないし、田中君は田中君、大出は大出であることを、バランス感覚の中で認めることが、繁栄や調和の原理原則なのである。
つづく
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