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松下幸之助を考える Vol.3

最近、「アルコールを止めた」と言うと、ほぼ全ての人が「信じられない」というような顔をする。創業者からのリクエストもあったので今回の議題としたい。

2024.04.10 ブログ


今、このブログを書いているのは2023年8月21日(月)の18:50を回ったところである。

鎌倉シャツの社長・貞末奈名子がただいま中国に出張中で、北京にある松下幸之助の記念館を見てきたそうである。



日本だけでなく、中国における松下幸之助の人気は凄まじく、現地ではほとんど神様のように拝められているのだという。

何十年経っても色褪せることのない松下氏の「哲学」「生き方」は世界中の人々に共感され、現在も学ばれている。Vol.2 にも書いた通り、松下氏は日本の「禅」に大きく影響を受けており、それはインドから中国を経由して日本で独自に進化したものである。

日本人は原型の模倣に優れ、アップグレードをして本物を追い越すような品質を作ることに長けている民族と言われている。禅もそうだが、パナソニックやTOYOTAなどはその代表格ではないだろうか。(鎌倉シャツもそうありたい)


私はといえば、例によって、アルコールを飲まず、食事をして、いただいた一保堂の新茶を飲み、京都の退蔵院で買ったお菓子を食べた。
最近、「アルコールを止めた」と言うと、ほぼ全ての人が「信じられない」というような顔をする。また、鎌倉シャツの創業者からアルコールを止めた話を書いてほしいというようなリクエストもあったので今回の議題としたい。


アルコールは依存性が高いのでやめるのは難しいが、「止めるメリットがデメリットに対して少ない」と思われているのがその驚きの中から推測される。
私自身にとっては、アルコールをやめたメリットは計り知れない。

まず、痩せて体が軽くなり、頭が冴え、酔うとすぐ寝てしまっていたのだが、それもないので夜元気に活動出来る。(活動といっても家で食事をして本を読み、文章を書くくらい)

休みの日に昼から飲むこともあった→すぐ寝てしまう→夜ご飯の時にまた飲む→すぐ寝てしまう→深夜に起きて寝られなくなる
という国内時差ボケというループが起きてしまっていることもあった。(さらに海外出張と組み合わせたハイブリッド時差ボケ含め)

デメリットは酒の席で手持ち無沙汰になるくらいだが、ノンアルコールやジンジャーエールを飲んでいれば、帰りは車で帰れるのである。私は元来お酒に弱く、強ければそのまま飲んでいても良かったのだが、すぐ寝てしまうので改善したかった。

アルコールを止めた副産物として痩せてしまった(代謝エネルギーをアルコールではなく食物に使えるそう)のだが、体が軽く、動きも良くなり、頭も冴えている気がする。

欧米のビジネスシーンでは古くから「食事の量をコントロール出来ない人の話を聞いてはならない」というような格言がある。
日本でもエリート・ビジネスマンの間では当然暗黙の了解となっていると思うが、最近欧米では新しい格言が生まれようとしているのを聞きつけた。
「アルコールの量をコントロール出来ない人の話を聞いてはならない」だそうであるが、食事の量も含めて「コントロール」さえ、出来れば何の問題もない。

ただ、私はアルコールの量をコントロール出来ないばかりでなく、元々お酒に弱いという体質だったので、「止める決断をした」のである。


さて、前置きが長くなってしまったが、今回の松下幸之助の話は「断を下す」である。

断を下すという言葉は、現代の私たちにはかなり強いものに感じられるが、要は「決断する」ということである。(念のため)


*以下引用
「ひとすじの道をひとすじに、ひたすら歩むということは、 これもまたなかなか容易ではないけれど、東と西に道がわかれて、それがまた北と南にわかれて、わかれにわかれた道を さぐりさぐり歩むということは、これも全く容易でない。

どうしようか、どちらに進もうか、あれこれととまどい、思い悩んでも、 とまどい悩むだけではただ立ちすくむだけ。

自分ひとりなら、長い道程、時に立ちすくむこともよかろうが、 たくさんの人があとにつづいて、たくさんの人がその道に行き悩んでいるとしたら、 わかれた道を前にして、容易でないとグチばかりこぼしてもいられまい。

進むもよし、とどまるもよし。 要はまず断を下すことである。みずから断を下すことである。

それが最善の道であるかどうかは、神ならぬ身、 はかり知れないものがあるにしても、断を下さないことが、 自他共に好ましくないことだけは明らかである。

人生を歩む上において、 企業の経営の上において、 そしてまた大きくは国家運営の上において、 それぞれに今一度、 断を下すことの尊さを省みてみたい。」



この話の一部を私に置き換えるならば、


「アルコールを飲むもよし、飲まないもよし、要はまず断を下すことである。みずから断を下すことである。

アルコールをやめるのが最善の道であるかどうかは、神ならぬ身、 はかり知れないものがあるにしても、断を下さないことが、 自身に対して好ましくないことだけは明らかである。」



そういえば、私は20代のある時期までタバコを吸っていたのだが、吸うと集中力が落ちるので、タバコの箱を握りつぶし、ゴミ箱に捨てたことを思い出した。
今思えば、タバコの箱を握りつぶしたことが「断を下す」ということだったのかもしれない。

何かを決断し、思い切って手放すと、そのスペースに思いもよらないような素晴らしいものが入ってくることがある。

今でもあの時タバコをやめる決断をした自分に拍手を送りたいし、あの時得た自信があったからこそアルコールをやめることが出来たのだと思う。



つづく

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