鎌倉シャツもう1人の創業者との対話 Vol.5
鎌倉シャツ副社長でディレクターの貞末哲兵が、創業者である母・貞末タミ子について語ります。
今これを書いているのは、いつものスターバックスで、2023年の11/22(水)の8:00を少し回ったところであるが、この原稿のメモや原型を書いていたのは、今年の夏前だったような気がする。
様々なシリーズを書いているので、このタイトルでの更新はだいぶご無沙汰多になってしまった。
改めて、「鎌倉シャツもう1人の創業者」であった貞末タミコは「センス」の人だったと思う。
仮に、今彼女が現役で、SNSで発信していればそれなりの確かな(偽ではない)フォロワーを獲得したように思うし、そうでなくても鎌倉では屈指の「鎌倉マダム」であった。
そんな彼女のセンスが、最大限に生かされたのが店舗におけるコーディネートや、レディース企画や「ネクタイのバイイング」だったと思う。
2001年の秋、貞末タミコはフランス・ニースにある世界的なネクタイブランドである「BREUER」社との取引を開始した。
当時、このネクタイは、現在も売り上げで1,2位を争う「メーカーズシャツ鎌倉・丸の内店」で販売したところ大きな反響があった。
大きな良い反響があったのはもちろんだったが、実は悪い反響もあったことをここに記しておきたい。
当時、鎌倉シャツで売られたBREUERのネクタイの小売価格は ¥4,900(税抜)だったが、全盛期を迎えつつあったセレクトショップでは ¥12,000〜¥13,000 で売られていた。
同業他社から「そんな値段で売られては困る」と圧力がかかったのは言うまでもない。
それはある意味で「悪い反響」だったと思うが、お客様にとってこれほど嬉しいことはなかっただろう。
突然、ワールドクラスのネクタイが他社の半額以下の ¥4,900 で売られてしまったのだ。
BREUERの話になるとつい長くなってしまうのだが、こちらでもご確認いただけると幸いである。
▼「【ネクタイ】BREUER(ブリューワ―) と鎌倉シャツの取り組み」
https://yomukama.shirt.co.jp/256
彼女の楽しいフランス・ニース 出張ブログもご確認いただければと思うのだが、当初BREUER社との取引は簡単ではなかった。
▼「鎌倉とニースは姉妹都市!!」
https://www.shirt.co.jp/column2/cat1/04/
前述の同業他社からの圧力がかかり、取引取り止めの事態に陥る危機があったのだ。
その日彼女は、お気に入りのフランス・ニース を1人で訪れ、BREUER社と商談する予定だった。
しかし、日本の10数社からBREUER社に圧力がかかり、彼らと商談はおろか面会することも叶わなかった。
その時、鎌倉にいた創業者の貞末良雄は、現地BREUER社に電話をして怒りの抗議をしており、私はその声を直に聞いていた。
「マダムが1人でフランス・ニースまであなた方に会いに行ったのに、会おうともしないとは紳士ではない!フェアではないではないか!」
というような怒号が聞こえていたが、結局彼女はBREUER社との商談はおろか、面会も叶わなかったのである。
しかし、彼女は天性の明るさからなのか、あまり気にしている素振りも見せず、世界的に美しい南仏・コート・ダジュールのニース、モナコ、カンヌと満喫して帰ってきたように思えた。
彼女がフランスから帰ってきて、こんなことを言われたのを覚えている。
「あなたがいつか私とニースに行って、BREUER社と商談出来るような紳士になってくれたら嬉しいわ。」
当時の私は、イタリア語はおろか、英語もろくに喋れず、おまけに極度にシャイな性格も手伝って、外国人とのコミュニケーションを苦手としていた。
いつか、「もう1人の創業者が望むような自分」になってみたいが、それは遥か遠く、掴むことは到底出来ないだろうと私は思っていた。
帰国当初、彼女は明るく振る舞っていたが、商談が出来なかったくやしさは相当なものがあり、当時の私は現地に行くことも助けることも出来なかったのである。
私が成りたい自分を具体的に思い描き、その実現に向かって動き出すのはもう少し時が経ってからのことであった。
つづく
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