鎌倉シャツ もう一人の創業者との対話 vol.10
貞末タミコは、鎌倉と同じくらい南仏・ニースを愛していた
今このブログを書いているのは、2025年9/3(水)の早朝である。
鎌倉シャツのもう1人の創業者であった貞末タミコは、鎌倉生まれ、鎌倉育ちであり、鎌倉を愛していた。
彼女は、生粋の鎌倉っ子、鎌倉夫人として自他ともに認識され、メディアなどからもそういった見方をされていたのだが、
同時に、このブログや、自身のブログにもあるように、鎌倉と同じくらい南仏・ニースを愛していた。
彼女は幼少よりフランス、特にパリに憧れを抱いていたのだが、20数年前に鎌倉シャツが南仏・ニースに位置する
BREUER社(本社・ニース)との取引を始めた時から、現地を訪れ、その美しい土地と文化に魅了されたのだった。
鎌倉市とニース市は姉妹都市提携を結んでいて、その共通点は、美しい海や山があり、コンパクトでありながら、高度な文化を併せ持っており、
双方を訪れたことがある人なら、間違いなくもう一人の創業者のようにお互いの街の魅力に取り憑かれるはずである。



そこで、私なりに、それぞれの共通項を皆さんに解説してみることにしたい思うのだが、
まず真っ先に、美しい海、ビーチ・カルチャーが挙げられるだろう。
鎌倉の海は、134号線と呼ばれる美しい海岸線を有してあり、これが文化やカルチャーと呼ばれるようになったのは、60〜70年代だったと推測出来る。
主に、それは七里ヶ浜のイタリアン(イタリアンという概念すら当時日本にはほとんどなかった)であるRONDINOや
夜になると、たいまつが外観を彩る珊瑚礁、逗子のフレンチの名店であるLA MARE’E(もちろんフレンチの概念もほとんどなかった)、
そして、当時はかなり斬新であったアメリカのファミレス・チェーンであるRED LOBSTER、かつて存在していたデニーズなどを皮切りに、
これまで全く存在していなかった多くの新しい業態が、134号線沿いに誕生したのだった。



そして、逗子観光開発(後に西武都市開発、セゾングループの傘下)が逗子マリーナを手がけたことに、ビーチ・カルチャーは端を発する。
また、もう一方の、西武鉄道グループは、国土計画(後のコクド)を拠点として、鉄道やプリンス・ホテルの開発をスタートした。
同計画の中で出来上がったのが、鎌倉プリンスホテル、大磯プリンスホテル、そして、箱根には3つのホテルを有し、
箱根登山鉄道を含めたリゾート文化の立役者となったのである。
湘南には、他にも多くの魅力が重なり、常にアップグレードされ続けているビーチ・カルチャーを有している一方、
ニースのビーチ・カルチャーについての考察は、ブログの構成上、次回に譲りたいと思う。

来年、2026年は「鎌倉市とニース市の姉妹都市締結60周年」を迎えることになっている。
この素晴らしくも喜ばしい事実について、双方の市民が認識してないように感じているのは私だけではないはずなのだが、
そもそも姉妹都市とは、「国境を越えて、異なる国や地域の都市同士が、文化交流や市民の友好親善を目的として提携を結ぶことにある」
鎌倉シャツとしても、何が出来るか常に考えていきたいと思っている。
つづく
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