ZEN通信・第2回 <後編>
今回は京都の妙心寺・退蔵院の松山大耕さんにインタビューさせていただくことが出来ました。顧客の皆様の何かのヒントになることが出来たら、それに勝る喜びはございません。
顧客の皆様、いつも鎌倉シャツをご愛顧いただきありがとうございます。
今回は京都の妙心寺・退蔵院の松山大耕さんにインタビュー、ZEN通信 Vol.02<後編>をお届けいたします。<前編>はこちらでお読みいただけます。
松山さんは退蔵院の副住職でいらっしゃるだけでなく、長きに渡りスタンフォード大学の客員教授、京都の観光大使も務めていらっしゃることから、日本文化としての禅、海外から見たZENの両方の視点をお持ちでいらっしゃいます。
松山さんへのインタビューが、顧客の皆様の何かのヒントになることが出来たら、それに勝る喜びはございません。
それでは、<後編>の始まりです。
禅は、武道やお茶などの日本文化に近い
私 「日本における禅の伝わり方、禅宗の影響はどのように感じていますか?」
松山さん「禅宗といっても、宗派がありますので、分けて考えなきゃいけないなと思っています。
いわゆるこの宗派としての禅というのは、日本の伝統的な、先祖を弔うという形で儀式が中心になる関係で、皆さんや檀家さんにサポートしていただいているわけですけれども「禅そのもの」っていうのは、もっと行(ぎょう)とか、自らを律するとか、そういう規範、規律なのです。
こういった道のようなものを求めていくという点においては、禅宗はむしろ、武道やお茶などの日本文化に近いという見方も出来るのです。」
私 「日本文化に触れる機会がある方はいいと思うのですが、私含めてその素晴らしさに触れてこなかった人は多いと思います。実際にお茶や弓なんかはハードルが高くても、禅の考え方には気軽に触れることが出来るのではないでしょうか。」
松山さん「そう思います。もう5、6年前のことですが、IOCの国際オリンピック委員会の方が退蔵院に参禅にいらしたんですね。
その方が坐禅を終えた後に、弓道とアーチェリーの違いを尋ねてみたわけですよ。その方は分かりませんとおっしゃっていましたが、道具が違うとかそういう話じゃなくて、根本が違うわけです。
一番の違いは、弓道は“的に当てることを目的としていない”のです。」
私 「(弓)道を感じますね。」
松山さん「はい。アーチェリーは的に当たればいいわけですけど、もちろん非常に難しいし、大変だけれども、まぐれで当ててもいいわけなのですが、弓道では“たまたま”とかいうのは、何の意味もない。」
私 「なるほど。」
松山さん「弓道で重視するのは、姿勢と呼吸と型を整えて、自分自身の精神状態を極限まで持っていくっていう、あくまでも自分の話なんですよね。それで、的に当たるかどうかってのは、自分の精神状態を確認する作業でしかなく、目的ではないということなんです。
相手を負かすとか、ポイントを取るとか、そこに重きを置くのではなくて、あくまでも、自己研鑽ということになります。この部分に、日本文化の非常に重要なポイントがあると思うんです。」
私 「日本文化は相手ではなく、自己。素晴らしいですね。」
京都が、今後の世界のロール・モデルになる
松山さん「そういった意味で、日本の昔ながらの琴線に触れるということで、いかに自分と向き合うか、自分を高めるか、というところに全部あるわけですけれども、私達日本人は何気なく、そういうものに触れていることが結構あると思うんですよね。
例えば、今私は京都の観光大使をさせてもらっていて、京都はオーバーツーリズムじゃないですか。
でも、2019年と今では来ている人が違うんですよ、今はものすごい大物が来ていると思います。」
私 「同じオーバーリズムでも状況が違うのですね。」
松山さん「はい。世界から見ると、日本は今、非常に特殊な立ち位置になっていて、一応アジアの一員だし、でも例えば、今回のイスラエルの問題に関しては、独自のスタンスを取っているんですよね。あまり偏ったりしないっていう感じなので、世界のどの国の人でも日本だったら行けると感じでいるはずなのです。」
私 「中庸ということですね、禅でも求められるようなグレーのような部分が国民性としてあるわけですね。」
松山さん「そうなんです。「色がない」というかですねえ、そういう独自のポジション二ングをしている。
今はもうグーグルのエリック・シュミットなんかは、ダボス会議(※)に参加するのもなかなか難しい状態になっているらしいのです。それで、自分のポケットマネーで世界中の様々な分野のリーダーを80人くらい京都に集めたのです。
その中で、もちろん地元枠だと思うのですが、呼んでいただいて色々な話をした時に、AIの未来とかゲノム編集とかも出ましたけど、私が一番印象に残ったのは、「なぜ、成長しなきゃいけないのか」っていうトピックだったんですよ。
20世紀までは、頑張ったり、成長していけば手に入るっていう、そういう時代だったじゃないですか。それで、キリスト教とか、ユダヤ教のバック・グランドというか、哲学で言うと“成長イコール何がなんでも良いこと”なんですね、成長こそが正しいと。
でも、この21世紀になって、これだけ世界がグローバル化し、しかも、主要先進国、それから東アジア、全部、人口減少の局面を迎えているじゃないですか。その中で、成長を志すとどうなるのか。」
(※)世界の政治や経済のリーダー、それに有識者がスイス・アルプスの高地に一堂に集まり、その時々の世界の諸課題について議論する国際会議
私 「奪い合うパイがもうないんですよね、限界に来ている。」
松山さん「はい、それで果たして良いのかっていう中で、京都とか日本が、今後の世界のロール・モデルになるんじゃないか、みたいな話をされていたんですよ。
私の義理の父は、京都の料理界のレジェンドだったんですけど、お弟子さんが100人以上いて、何人か独立してるんですね。
それで、来週もその1人の店に行くんですけど、カウンターが8席しかなくて3人でやっている店なんですよ。非常に小さいけど、いい仕事をしいいて、常連さんがいて…と、こういうお店なんですね。ただ、このお店がですね、例えば、シリコンバレーに出店したら、どうなるか。」
私 「とんでもない値段で営業しても、予約の取れないお店になってしまうでしょうね。」
松山さん「それもありますが、一瞬で買収されると思います。」
私 「確かに!そうなりそうですね。」
松山さん「ビジネスは大きくなるし、お金は儲かるけど、みんな忙しくなって、仕入れやサービスなど、全体としてのクオリティーは下がりますよね。
私 「そうなってくると、常連さんなんかは離れてしまいます。」
松山さん「お金はともかくとして、最終的にはアンハッピーになってしまう、店の将来が容易に想像できるじゃないですか。一方、彼の店は8席しかないけど、非常にいい仕事をして、常連さんがいて、然るべき対価を得て、クオリティーを下げずに日々生き生きと働くことが出来る。」
私 「今はそういう生き方が、なかなか許されないですよね。ビジネスには常に成長が求められるわけですから。」
松山さん「はい。でも彼の店も成長していないかって言うと、決してそうじゃなくて、成長しているんですよ。」
私 「なるほど。日々、それぞれの人が様々な仕事の中に改善点など見出しているでしょうね。」
松山さん「はい。日本語といのは、特殊な言語で、大きくぐるっと一つにまとめる特徴があるんです。例えば、「心」って、英語にないですよね。英語にすると、mind、heart、spiritとか、すごく細分化されるんですよ。」
私 「なるほど、日本語と違いますね。」
松山さん「はい、日本語は全部ひっくるめて「心」です。で、「成長」という言葉も少なくとも2つに分けられて、一つは先ほどのgrowですね、サイズを大きくするというような意味です。」
私 「はい。」
松山さん「で、もう一つは、Self developmentというか、自分自身を研鑽する、高めていくっていう意味です。それで、料亭の彼は、サイズを大きくするのではなく、自己研鑽をずっとやっているんですよね。自己研鑽というのは、日本文化のすごい重要なポイントになるわけです。」
何歳になっても目指すべきところがある
私 「確かに、自己研鑽や、道を極めるというような考え方が日本にはありますよね。」
松山さん「後ほど私の好きな絵をご覧いただきますけど、静岡の三島にある龍澤寺に僧堂があって、その住職が97歳なんですけど、今も現役で、その老師が90歳くらいに描かれたものなのです。それで、その絵を私がどれだけ真似しようと思って練習しても書けない。
なぜかというと、人生経験も違うし、筋肉量も当然違う。40代には、40代の目指すべきところがあって、90代になっても目指すべきものがある。」
私 「何歳になっても目指すべきところがあり、その中に境地があるっていう、いつまでも終わらない道を行くのが日本文化のすごいところなんですね。」
松山さん「はい、常に自己研鑽をしていくんですよね。花街にいらっしゃる芸妓さんも70~80歳を越えたくらいの方の舞いが一番美しいのです。
若い時には出せない美の世界があって、それを目指していく。完成のないゴールに向かってひたすらに技を磨く。」
私 「素晴らしい世界ですね。私達一般の人達も同じように、自己研鑽することは可能ですよね。日本人としてのDNAがある以上、フィールドは違えど目指すことは出来る。」
松山さん「皆がそこを目指して自己研鑽していければ、とてもハッピーになれますよね。
アメリカのスタンフォード大学の授業やっていて、今日も今から彼らと会いますが、みんな、やっぱりね「ゴール・オリエンテッド」って言うんですよ。」
私 「ゴール・オリエンテッドですか?」
ゴール・オリエンテッドじゃない生き方
松山さん「はい。目的を定めて、そこにいかに早く効率的に辿り着くかっていうゲームをずっとやっているんですね。それで、そのゴールにたどり着くと、エキサイティングはエキサイティングなのですが、、やっぱりね、しんどいんですよ。」
私 「なるほど、今の日本もその傾向がありますよね。皆が効率化を求めて東京で凌ぎを削っているような状態です。」
松山さん「その通りです。ただ、ゴール・オリエンテッドには勝ち負けもあるし、常に走らなきゃいけないから大変です。でも、私はそうじゃない生き方が、日本文化にはあるのではないかと思っています。彼らはもちろん、そのことを知らないんですよね。
例えば、退蔵院の庭は、500年前にできた元信の庭がありますけど、基本的にノーゴールなのですよ!500年間、ひたすらメンテナンスです(笑)でも、そういうところに身を処すことで、非常に心が豊かになってくるんですよね。
ですから、お庭もですが、自己研鑽していくというのは、いつまで経っても終わりがない。ここが、禅的なところというか、日本文化という風に思うわけです。」
私 「日本にはこういった素晴らしい考え方が、文化としてあることに気付けたら、もっと自分達に誇りを持つことが出来ますよね。知らないうちに皆さん自己研鑽している可能性もありますしね。」
松山さん「そうです、そうです。なんか知らんけど、そうなっちゃってるみたいな。」
私 「オイゲン・ヘリゲルが書いた「弓と禅」という本がありますよね?あれもひたすらに自己研鑽していく日本文化の話ですよね。」
松山さん「ああいう渋い世界がね、あるんですよ。」
私 「外国の修行している方が、弓を引いても引いても、どうしてもうまくできない。」
松山さん「そこに達人が現れて、真っ暗の中、線香1本立てて、目を瞑って的を射抜く。」
私 「嘘だろ!?と思いましたが?」
松山さん「そう思うのも分かりますが、嘘やったら、あの本は書けないと思います。」
私 「あれも、弓「道」というか、外国人の彼がね、自分をこう、高めていくっていう本じゃないですか。」
松山さん「その通りです。弓道もある程度の段になったら、的を外す人なんか誰もいないわけですよ。」
私 「そうなんですね。」
松山さん「で、もうそこまで行くと、あえて狙っていないかとか、涼しい目をしているかとか、そういうところで決まっていきますからね。」
私 「いかにリラックスして、精神を集中させるかという問い、ということなのですね。」
松山さん「そうそう、そういうことです。」
私 「日本文化は、自己研鑽していくことに置き換えると、やはり終わりがないのですね。」
松山さん「私達の世界のキャリアハイは80代ですから。仏教界では、50代は鼻当たれ小僧とかね、若手って言われますから。私はまだまだ鼻垂れ小僧にも満たないんですよ。」
「海外の人達から私達が学ぶ場面」が出てくる
私 「松山さんのこれからを私も楽しみにしています。さて、色々と楽しいお話も尽きないのですが、そろそろお時間がきてしまったようなので、最後に質問させてください。
松山さんはスタンフォード大学の客員教授もしていらっしゃいますけど、今、アメリカや海外の状況としては、ZENの伝わり方はどんな感じなのでしょうか?
マインドフルネスとなって、変化し続けている、というようなお話をよく聞きます。」
松山さん「そうですね。まず背景が違うので、ある程度アメリカナイズされるのは、仕方がないと思っています。
この間、久しぶりにハワイに行きましたが、ハワイの妙心寺派の道場は日本の支部というより、海外における一つの中心みたいになっていたりするんですよ。
行(ぎょう)を中心としたZENのスタイルを重視していて、“新しい形がそこにある。”という感じですかね。本来の形と言うべきなのかもしれませんし、近い将来、初めて外国人の老師が誕生する予感がしています。
むしろ、今後は「海外の人達から私達が学ぶ」という場面も出てくるんじゃないかと思うんですよね。」
私 「それぐらい、海外の人はZENについて興味を持っていて、それを更に進化させているイメージですか?」
松山さん「進化させているのもありますが、海外の人の方が古き良き日本の価値をもう一度見出すことに長けているような感じですね。」
私 「海外の方だからこそ見える視点かもしれませんね。」
松山さん「その通りです。海外の方は日本人が忘れていた日本人の価値に気付き、そのことを逆に我々が学び、トータルとしてZENが進化していく流れになっていくと思います。」
私 「こうして、素晴らしいZENの考えが、今後も世界中に広がっていくのですね。本日はお忙しい中、お時間いただきありがとうございました。」
松山さん「こちらこそありがとうございました。今後も、鎌倉シャツさんの新しいSAMUEの開発を期待していますね!」
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46,200円 (税込・参考価格)
今回も最後までご覧くださり、ありがとうございました。
また、次回もこの「読む鎌」でお会いすることを心より楽しみにしています。
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