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2024年6月、欧州出張 <中編>

CANCLINI社のMauro Cancliniさんに連絡してみたところ、オフィスにいるということなので訪問してみようという話になった。

2024.08.19 貞末哲兵コラム

[Vol.6]CANCLINI社のMauro Cancliniさんを訪ねて


今これを書いているのは、いよいよミラノの最終日となった10時を少し回ったところである。

ビアンキ社のアポイントの後は昼食を取り、コモの街を市場調査に当てようと思っていたが、CANCLINI社のMauro Cancliniさんに連絡してみたところ、オフィスにいるということなので訪問してみようという話になった。




CANCLINI社は、イタリアでも屈指のシャツ生地メーカーであり、美しいコモ湖の水を使った、生地作りにおいては世界最高峰と呼ばれている。




私とコバぶろぐでお馴染みの小林が、以前訪れたのは、確か7年位前だったと記憶しているが、久しぶりの訪問に心が踊ったのである。




実はこのCANCLINI社、私自身は通算4-5回訪れており、イタリアに住んでいたおよそ17-18年前が最初の訪問であった。


創業者である貞末良雄は、当時からヨーロッパのファクトリーと対等に仕事をすることを視野に掲げており、それを成し遂げた時、鎌倉シャツが他の日本企業と大差をつけて、ワールド・クラスに踊り出ることを意味していた。


そこで、「私のところに白羽の矢が立った」というのは言い過ぎで、当時の私は、ビジネス・ミーティングはもちろん、イタリア語も初心者であったのである。

※ 鎌倉シャツ創業者との対話 Vol.2 にも書いたように、なんとか担当者と会うことは出来たが、お互い何も話すことはなく、かなり気まずい思いをしたのを今でも覚えている。(イタリア語もままならず、商談もないのだから当たり前だが)


創業者は何のために私にこのような体験をさせたのだろうか。

イタリア語の技術もなく、商談するミッションもなく、ただただこの会社へと向かわせた意味とは?




私がその意味を分かり始めたのは、イタリア修行を終え、鎌倉シャツに戻り、改めて仕事や商談でヨーロッパに行き出して数年経ってからである。


「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす」という諺があるが、あの時のSANTONI社訪問が「今日の私を作ってくれた体験」として、今では創業者に感謝している。


上記は 鎌倉シャツ創業者との対話 Vol.2 の引用であり、SANTONI社がCANCLINI社に変わっただけで、全く同じ体験をしに行ったのだった。




私は、それから数回の訪問を重ねてきたが、今回は、歴代最高といってもいい、鎌倉シャツのクリエイティブ・チームを引っ提げてきたのである。


Mauro Cancliniさんとはテニスを通じて交流を深め、ビジネスではいかに「鎌倉シャツが世界を見ている」といった類のストーリーを何年にもわたって話をさせてもらってきた。

出張ブログVol.4 にもあったような、いかにも日本的で閉塞感の溢れたビジネスのやり方には興味は一切なく、鎌倉シャツは世界だけを見ているのであって「永遠にこのままで良いと思っている周りの方々に合わせている」暇はないのである。


Mauro Cancliniさんから(当時から私が語らせていただいていた話をようやく理解してくれたのか)「生地を買う、買わないという枠を超越した取り組みは出来ないだろうか」

というような趣旨の言葉をいただき、決して大きくはない一つの日本企業(私はワールド・クラスと思っているが)として、ヨーロッパを代表するシャツ生地・メーカーに認められたような瞬間に思えた。



つづく

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[Vol.7]25SSのピッティ・ウォモのレポート


今これを買いているのは、パリの最終日となった6/19(水)の20:30を回ったところで、明日の便で帰国の途に着く。

今回は25SSのピッティ・ウォモのレポートをしたい。

鎌倉シャツ・チームが会場のフィレンツェに向かったのは、会期の最終日であったため、会場の混雑を避けることが出来た。


まず、カラーの傾向は、イエロー、ピンク、ライム・グリーンあたりのパステル・カラーが主軸となった。




イエローは、開催側であるピッティからも大きく打ち出されたカラーということもあって、メインに据えられた感があり、一方、昨年多く見られたラベンダー系は大幅に減少し、その代わりにピンクがかなり戻ってきたという印象を受けた。




ライム・グリーンはかなり面白く、効果的にコーディネートをすることが出来れば、多くの日本人にも取り入れやすいカラーになるのではないだろうか。




他には、ここ数シーズン、全体を引っ張っているベージュ、カーキ、ブラウンなどのアース・カラーが多く展開されており、それらと相性の良いパステル・カラーを組み合わせたコーディネートは大きなトレンドとなるだろう。




素材は、リネンを中心にピケやシア・サッカーが多く見られ、フィッティングでは、ここ数年の傾向と大きく変わらず、スリムでもなく、ゆったりし過ぎているわけでもない中庸の物が多く見られた。


他に面白いところでは、シャツ生地を使った様々な形のセット・アップや、製品染めのポロシャツが多く見られた一方で、ジャージー・ジャケットからナイロン・ジャケットへと、トレンドが変化しているのが見受けられた。




おそらく、マーケットに安物のナイロン・ジャケットがあまりにも増え過ぎてしまったことによる、業界としてのアンチ・テーゼではないかと思うが、そのあたりにサプライヤー達のプロ意識を見ることが出来たように思う。



つづく

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[Vol.8]ミラノでショールームを訪問。まずは、SANTANIELLO社


ミラノでショールームを二つほど訪問してきたので、ここにレポートしておきたい。


一つ目は、鎌倉シャツとは10年以上取引のあるSANTANIELLO社である。




Napoliから南下した街であるSalernoからさらに奥地へ行ったBaronissiという街に彼らのファクトリーはある。

今では数えるほどしかなくなってしまった、イタリア・メイドによるイタリアのパンツ・メーカーの雄であり、(現在は多くのメーカーが東欧で物作りをしている)今も尚、頑なにメイド・イタリーにこだわり続けているのがこのSANTANIELLO社である。

日本製のパンツも良いのだが、SANTANIELLO社の物は他にはない豊かな表情と、独特の雰囲気を持っているため、一度気に入ってしまうと病み付きになる魅力を持っている。




SANTANIELLO社に出会ったのは、今から遡ること10数年前になるが、「どうしても優れたイタリア製のパンツを自分自身が買える値段で展開してみたい」という強烈な欲求に突き動かされた私は、その想いに共感してくださる方がいれば、大きなビジネスになるに違いないと踏んだのであった。




鎌倉シャツのビジネスの基本は「これ売れそうだよねとか、世間で評価されそうだから」といった下心を極力排除しており、鎌倉シャツの創業者であった貞末良雄と同じく、「自分が欲しい物を自分が買える値段で売る」という哲学が基本となっている。

下心があるとするならば、自分が欲しい物を買える値段で展開するために様々な手段を駆使し、時にはリスクを負って勝負を賭ける「スリルを味わう」ことにあるのかもしれない。

10数年前、鎌倉シャツが展開したSANTANIELLO社製のパンツの値段は¥9,800だった。

当時からイタリアのメーカーが作っていたパンツのほとんどは¥30,000以上していたから、1/3以下の値段で売ることが出来て、自ら買うことが出来た喜びはひとしおだった。




そこから10数年、時が経ち、コストや為替は変わり、コロナもあったりしたが、SANTANIELLO社製のパンツの取り扱いには紆余曲折もあったものの、コバぶろぐ でお馴染みの小林は諦めなかった。




彼を中心とした企画チームが、粘り強く発注と販売を続けたことによって、24SSで展開したパンツはほぼ完売、という結果を導き出すことに成功したのだった。

今回見た、SANTANIELLO社 による25SSのコレクションは、ここ数年で最も素晴らしい出来栄えとなっており、今から心が躍る想いである。

来年の展開に、是非ご期待いただければと思う。



つづく

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[Vol.9]続いては、1854年創業のMAGLIA FRANCESCO社


続いて訪問したミラノのショー・ルームは、1854年創業のMAGLIA FRANCESCO社(マリア・フランチェスコ)である。




以前、鎌倉シャツでも取り扱いはあったが、このファクトリーが作るアンブレラは世界一と呼ばれている。

何が世界一なのか?

雨が漏れにくく、撥水パワーの強いテクノロジー満載の傘や、使い捨てのビニール傘とは違って、マリア・フランチェスコのアンブレラには歴史とロマンが詰まっているのがその理由である。



雨の日、多くの人が少し嫌な気持ちになる。
ギリギリまで寝て、慌ててビニール傘をさして仕事に向かうビジネス・マンは多いと思う。


ところが、このマリア・フランチェスコ製のアンブレラを前日に準備し、アンブレラを含めた明日のコーディネートを考えたらどうなるだろうか。

出掛ける前に美しい柄や、天然素材で作られた美しい持ち手に触れるとどうだろうか。

不思議と、雨の日であっても、その日を楽しもう、有意義な物にしよう、という気持ちが湧いてくるのである。


ここに、素晴らしい服や、雑貨などが持つポジティブなエネルギーを感じることが出来るのであるが、マリア・フランチェスコ製のアンブレラはその最たる事例と言えるかもしれない。




1854年から続くミラノの工房には、無数のアンブレラが置いてあり、新しいコレクションの他に、異彩を放っているのが数々の修理・依頼品である。


フランチェスコ  「哲兵、このアンブレラは15年使われた物だけど、昨日修理依頼に持って来られたものなんだ。ちょっと痛んでるけど修理すればまだまだ使える。私達の商品は、確かに最初の値は張るけど、他にはない唯一無二の物だし、修理さえすればずっと使えるから、結局そんなに高いものでもないんだよ。長年使っていると愛着も湧いてくるしね。」




私は、直接フランチェスコからこの話を聞いた時、サスティナビィリティの本質を見たような気がした。

我々の身近にある物の中には、例えばエコ素材を使って作られた傘がある。 

ところが、その傘自体の耐用年数は考えられておらず、結局すぐに廃棄になってしまうようなことが往々にしてあるように思う。


もちろん、それらは何も考えずに大量に作られた品からすれば遥かに良いのかもしれないが、マリア・フランチェスコのアンブレラは、存在自体に永続性が極めて高く、初期投資はそれなりにかかるものの、愛着も湧くため、無くすケースも少ない。(無くす無くさないは個人差あり)


そう、サスティナビィリティの答えは、最先端テクノロジーだけが解決するのではなく、1854年から続いているマリア・フランチェスコのような古典にあったりもするのだ。  



通常、人々は一本の傘を何年使うのだろうか?


実は私の家には10年以上使っているマリア・フランチェスコのアンブレラがある。

主に天然素材を使っているため、曲がったり多少雨が漏れやすくなったりしてはいるが、未だにこのアンブレラは手放せない。 

買った時よりも愛着が増し、雨の日のコーディネートを楽しみ、エネルギーを与えてくれるのである。  

まさに、世界で唯一無二の「魔法のアンブレラ」なのだ。



この魔法に魅せられた、エルメスを含む世界のトップ・メゾンのほぼ全てが、マリア・フランチェスコに彼らのアンブレラの生産を依頼している。

トップ・メゾンであればあるほど、雨に漏れにくい、撥水パワーなどよりも遥かに「大切な何か」に価値を見出しているのである。



そういったわけで、エルメスと鎌倉シャツの共通の生産背景は3つになった。


一つは長年付き合いのある アスコット社(独)のニットタイ

来年春からリ・スタートするスティーブン・ウォルターズ社のネクタイ生地、

そして今回のマリア・フランチェスコ社でのアンブレラある。


日本においても、それらに負けないような物作りをしていかなければならない。



つづく

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[Vol.10]イタリア在住中お世話になった、紅林恵美さんとの再会


今これを書いているのは2024年6/23(日)の朝である。

金曜日のフライトで欧州から戻ってきたのだが、時差ボケがそれなりにあり、すぐ横になってしまう。

今回のVol.10でミラノ編が終わり、次回以降はPARIS編ということになる。


さて、ミラノ・レポートの最後は、私がイタリア在住中に大変お世話になった、紅林恵美さんとの再会についてお話したいと思う。




現在もミラノ在住の紅林さんは、ご自身のブランドを持っていただけでなく、PRADAやCOSTUME・NATIONALなどのデザインをされていたことでも知られている。
海外における日本人デザイナーの草分け的な存在でいらっしゃり、現在は今をときめく大人気の ANTEPRIMA をイタリアで手掛けていらっしゃるのである。




私はイタリアに在住していた29-30歳頃に、紅林さんの荷物持ちとして多大なるご迷惑をおかけしながらも、大変お世話になったのである。


当時、自分の将来がぼんやりともまだ見えていない頃、紅林さんがミラノのデザイン事務所でバリバリと仕事をこなしている姿を、私は羨望の眼差しで見ていた。

プロのデザイナーであるのはもちろん、イタリア語を自在に操り、エネルギッシュなパワーでイタリア人と対等にやり合う紅林さんが眩しく、私には到底届かない雲の上の存在であった。

ワールド・クラスとはこのことか! と間近にその凄さを体感させていただいた私は、いつか「海外で自分の思うままに仕事をすること」をうっすらとした人生の一つの目標としたのである。


実は、紅林さんとは今年の1月にも、あるミラノでの会食の席でもご一緒させていただいたのだが、今回はお昼からゆっくりとお時間をいただくことが出来た。

待ち合わせ場所は、あの「10 Corso Como」である。




10 Corso Comoといえば、イタリアだけでなく、欧州全土を代表するセレクト・ショップ、アンテナ・ショップの一つであり、世界のファッションの中心地のようなところである。

今ではインターネットを介して、欲しいものがいつでも検索できる時代になったが、それ以前は10 Corso Comoなどがセレクトしている商品が一つの基準となっていた。

私がミラノにいた16〜17年くらい前は、[10 Corso Comoが流行を発信] → [ファッション業界で流行る] → [一般の方へと普及] といった流れがあり、それはとても楽しいものだった。


「ファッション関係者の間で流行っているらしいぞ」という言葉がマーケットを引っ張っていたが、今はSNS全盛となり、良くも悪くも現在は大きく時代は変わったのである。




そんなわけで今もイタリア・ミラノの華やかなファッション業界でご活躍する紅林さんと楽しい一時を過ごすことが出来たのだが、改めて思うのは「ファッションを楽しいものにしたい」ということだ。


人々が服を選び、雑貨を身に付け、外に出掛ける時、まさかサスティナブルなことばかりを考えるわけではないだろう。

その人の1日を楽しく、有意義なものにするためにファッションが存在する。

今も尚、ファッションの最前線を走っていらっしゃる紅林さんに10 Corso Comoでお会いして、改めて思ったのである。


そう、ファッションは楽しむためにあるのだ。



つづく

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