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2024年6月、欧州出張 Vol.6

CANCLINI社のMauro Cancliniさんに連絡してみたところ、オフィスにいるということなので訪問してみようという話になった。

2024.06.21 貞末哲兵コラム


今これを書いているのは、いよいよミラノの最終日となった10時を少し回ったところである。

ビアンキ社のアポイントの後は昼食を取り、コモの街を市場調査に当てようと思っていたが、CANCLINI社のMauro Cancliniさんに連絡してみたところ、オフィスにいるということなので訪問してみようという話になった。




CANCLINI社は、イタリアでも屈指のシャツ生地メーカーであり、美しいコモ湖の水を使った、生地作りにおいては世界最高峰と呼ばれている。




私とコバぶろぐでお馴染みの小林が、以前訪れたのは、確か7年位前だったと記憶しているが、久しぶりの訪問に心が踊ったのである。




実はこのCANCLINI社、私自身は通算4-5回訪れており、イタリアに住んでいたおよそ17-18年前が最初の訪問であった。


創業者である貞末良雄は、当時からヨーロッパのファクトリーと対等に仕事をすることを視野に掲げており、それを成し遂げた時、鎌倉シャツが他の日本企業と大差をつけて、ワールド・クラスに踊り出ることを意味していた。


そこで、「私のところに白羽の矢が立った」というのは言い過ぎで、当時の私は、ビジネス・ミーティングはもちろん、イタリア語も初心者であったのである。

※ 鎌倉シャツ創業者との対話 Vol.2 にも書いたように、なんとか担当者と会うことは出来たが、お互い何も話すことはなく、かなり気まずい思いをしたのを今でも覚えている。(イタリア語もままならず、商談もないのだから当たり前だが)


創業者は何のために私にこのような体験をさせたのだろうか。

イタリア語の技術もなく、商談するミッションもなく、ただただこの会社へと向かわせた意味とは?




私がその意味を分かり始めたのは、イタリア修行を終え、鎌倉シャツに戻り、改めて仕事や商談でヨーロッパに行き出して数年経ってからである。


「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす」という諺があるが、あの時のSANTONI社訪問が「今日の私を作ってくれた体験」として、今では創業者に感謝している。


上記は 鎌倉シャツ創業者との対話 Vol.2 の引用であり、SANTONI社がCANCLINI社に変わっただけで、全く同じ体験をしに行ったのだった。




私は、それから数回の訪問を重ねてきたが、今回は、歴代最高といってもいい、鎌倉シャツのクリエイティブ・チームを引っ提げてきたのである。


Mauro Cancliniさんとはテニスを通じて交流を深め、ビジネスではいかに「鎌倉シャツが世界を見ている」といった類のストーリーを何年にもわたって話をさせてもらってきた。

出張ブログVol.4 にもあったような、いかにも日本的で閉塞感の溢れたビジネスのやり方には興味は一切なく、鎌倉シャツは世界だけを見ているのであって「永遠にこのままで良いと思っている周りの方々に合わせている」暇はないのである。


Mauro Cancliniさんから(当時から私が語らせていただいていた話をようやく理解してくれたのか)「生地を買う、買わないという枠を超越した取り組みは出来ないだろうか」

というような趣旨の言葉をいただき、決して大きくはない一つの日本企業(私はワールド・クラスと思っているが)として、ヨーロッパを代表するシャツ生地・メーカーに認められたような瞬間に思えた。



つづく

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