鎌倉シャツ創業者との対話 Vol.2
鎌倉シャツ副社長でディレクターの貞末哲兵が、創業者である父・貞末良雄について語ります。
鎌倉シャツの創業者は貞末良雄とタミコ夫妻だが、前回に続き 良雄との対話をお話ししたいと思う。
彼はとても厳格で自他共に厳しい人だった。
私が小学生の時に「これを読みなさい」と渡されたのが、吉川英治の不朽の名作「宮本武蔵」だった。
宮本武蔵という本の物語、内容については、前回の「鎌倉シャツ創業者との対話Vol.1」で書いたような「成りたい自分」や「自己実現」に重ね合わすことができる。
また、創業者のブログ~成りたい自分に成る【1】にも下記のように書いてあるのを確認した。
宮本武蔵が剣の技を極める話ではなく、人間として完成して行く過程での
悩み、苦しみ、決断、総べて自分の行動の中で体得して行く物語りであった。
修練し、自己実現して行くのである。
人生はこの様に歩むものなのか、生涯自己練磨なのだ。
なんとも厳しいことが書いてあるが、最近になって「宮本武蔵」を読み返してみた。
小学生はおろか、45歳の私にとってもその内容は難しい。
10歳くらいの頃、最後まで頑張って読んだのだが、当時は「自己実現」という領域について書いてあるとは思わなかった。
宮本武蔵が色々苦労して、佐々木小次郎に勝って良かった!くらいの記憶しかないのである。
創業者 「宮本武蔵は読んだか? また爪が伸びているぞ、苦髪楽爪だな」
苦髪楽爪とは、苦労が多いと髪が伸び、楽をすると爪が伸びるという意味で、「若いうちの苦労は買ってでもしなさい」というのが創業者の口癖だった。
私はコロナ渦になり、鎌倉に戻ってきたことによって、鎌倉やその他多くのお寺の方々と交流を持つことができた。
特に鎌倉五山などに代表される禅寺の方々には大きな影響を受け、禅の素晴らしさにも触れることができたように思う。
「宮本武蔵」を改めて読み返してみると、その物語は禅そのものではないかと思う。
未熟で、逃げ、殺戮ばかり繰り返していた「たけぞう」は沢庵和尚に出会い、教えを受け、また厳しい修行を自らに課すことによって、今日皆が知る「宮本武蔵」となったわけだが、その様はまさに禅の修行そのものに感じる。
鎌倉シャツの創業者は、宮本武蔵を通して禅の考えを知り、自らに厳しい修行を課し、実践と体験を繰り返し、私や今いるベテランの社員にその考えを伝えていたのだと思う。
私がイタリアで修行していた20代の終わり頃、創業者から一通のメールが届いた。
「SANTONIというホールガーメントの機械を作る会社がイタリアにあるそうだ。アポを取って会ってきなさい。」
当時の私はイタリアに来てまだ3ヶ月であり、なんとか言葉を少しずつ覚え始めた頃で、ビジネスミーティングをするレベルには到底達していなかった。
私 「何のためにSANTONIに行くのですか?」
創業者 「行けば分かる」
しかも、特にミッションも何もなく、ただ「行きなさい」とだけ言うのだった。
ミッションがあれば、それなりに事前準備をすることも出来たかもしれなかったが、何もなかったので困惑したのを覚えている。しかも、SANTONIという会社が作る「ホールガーメント」という機械はシャツのものではなく、セーターを作るものだった。
鎌倉シャツにセーターはあまり関係なく(当時セーターは販売していなかった)何のために行くのか全く分からなかったが、私はSANTONI社のあるブレシアという街に向かった。海外での初めてのミーティングだったこともあり、極度の緊張に襲われながら、1人でタクシーに乗り、巨大企業であるSANTONI社を訪問した。
なんとか担当者と会うことは出来たが、お互い何も話すことはなく、かなり気まずい思いをしたのを今でも覚えている。(イタリア語もままならず、商談もないのだから当たり前だが)
創業者は何のために私にこのような体験をさせたのだろうか。
イタリア語の技術もなく、商談するミッションもなく、ただただこの会社へと向かわせた意味とは?
私がその意味を分かり始めたのは、イタリア修行を終え、鎌倉シャツに戻り、改めて仕事や商談でヨーロッパに行き出して数年経ってからである。
「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす」という諺があるが、あの時のSANTONI社訪問が「今日の私を作ってくれた体験」として、今では創業者に感謝している。
(つづく)
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