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社長・貞末奈名子 Vol.2 「もう一度ニューヨークへ」

鎌倉シャツ副社長でディレクターの貞末哲兵が、現社長であり実姉の貞末奈名子について語ります。

2024.04.10 ブログ



今、これを書いているのは、2023年の10月11日(水)の8:30を回ったところで、ちょうど貞末奈名子からニューヨークに到着したという連絡を受けたところだ。


現地ニューヨークは19:30を回ったところで、気温は15度前後、そう寒くないそうである。
まずは無事に着いて一安心なのだが、私自身は「ニューヨーク」という言葉を聞くだけで何かソワソワしてしまう。


ニューヨークにはロマンがある。
夢があるのだ。


ニューヨークは、ロンドンのシティと並んで世界の金融の中心であり続け、100万ドルの夢を求めて世界中の才能が集まる特別な場所だ。

金融街であるウォールストリート、ファッションの中心地である5th アヴェニューやマジソン街、ソーホー、タイムズ・スクエア、セントラルパークにマジソン・スクエア・ガーデンなど名前を聞いただけで心が躍る。


マジソン・スクエア・ガーデンといば、何年も前の話になるが、奈名子社長とNBAのニューヨーク・ニックスのゲームを観に行ったことがある。

その時に大活躍したのが、アジアン・ドリームを成し遂げたとされた台湾出身のジェレミー・リンである。ハーバード大学出身の彼は、当時ニューヨーク・ニックスで一気にスター選手に踊り出て、ニューヨークにおけるアジア人の成功の象徴となっていた。
インテリジェンスを生かしたゲームコントロールと、シュートを打つまでのスピードがNBAでも一番速いということで、毎晩現地のテレビでも特集が組まれていたほどだった。


また、私はニューヨークという言葉を聞くと、アメリカを代表するシンガーである ALICIA KEYSの「EMPIRE STATE OF MIND」を思い出してしまう。



If I can make it here, I can make it anywhere, that's what they say .
「ここで成功出来たら、世界中どこでだって成功できる、人々はそう言うの」



という歌詞から始まるこの歌は、
鎌倉シャツが2012年に「ニューヨーク出店を果たした意味そのもの」といえる。


8月くらいに奈名子社長のニューヨーク出張が決まった時、私は嬉しくなってこの曲を車で一緒に聞いてもらったことがある。もちろん、本人は私以上にロマンではなく現実を追わなくてはならいのだろうが、「とても良い曲ね!現地でも聞いてみるわね。」と言ってくれた。



創業者である貞末良雄、貞末タミコは2012年ニューヨーク出店を決断した。

その意味は、長年の夢だったということもあるが、その先にある中国をはじめとした世界戦略を基盤として考えていたものだった。まさに、「ここで(ニューヨーク)成功出来たら、世界中どこでだって成功できる」という信念があったことに他ならない。


延べ9年間に渡って、鎌倉シャツのニューヨーク・マジソンアヴェニュー店はカスタマーを作り続けたが、その影響は世界中にも飛び火した。

鎌倉シャツの上海出店を後押しただけでなく、東南アジア諸国に鎌倉シャツのパートナーが無尽蔵に増加を続けているのだ。彼らは間違いなく、極東の国で、洋服の後進国であったアジアのシャツ屋が、ニューヨークで成功したことに対するリスペクトとロマンを感じてくれているのである。


コロナもあり、時代は大きく変わったがニューヨークが持つエネルギーに変わりはない(と奈名子社長は現地で感じている)。ファッションにインパクトを与え続けるニューヨークは、鎌倉シャツが鎌倉の次に目指す場所である。


If I can make it here, I can make it anywhere, that's what they say .
鎌倉シャツは鎌倉から、ニューヨークを起点として、もう一度世界を目指すのだ。



つづく

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