Q&A vol.2
「私はこう思う、私はこう感じる」ということを素直にお伝えしたい。
今このブログを書いているのは2025年11/4(火)の7:20を回ったところで、広島へと向かう新幹線の車内である。
vol.1は人事部の肥合からの質問だったのだが、そのレベルの高さに驚くと共に、私自身にとっても大きな学びの機会となった。
私にとって文章を書くことや問いに答えることは、己の思考を整理し、学びにもなるわけだが、これは禅的に言えば坐禅に近いとも思っている。
さて、今回のvol.2なのだが、引き続き人事部の肥合からの問いとなっている。
Q3. 哲兵さんの思う紳士淑女とはどういうものでしょうか。
僕が入社する際、父母会という自分の親を鎌倉にお招きいただき、一緒に食事をする機会をいただいておりました。(とても素敵な機会でした)
その際に、「お子さまを紳士淑女に育て上げる」という約束(メッセージ)をいただき、今でもそれを鮮明に覚えています。
当時の僕は紳士淑女という言葉を聞きなれていないこともあり、なんとなくカッコ良い人、のことを指すのかと思っておりました。
ですが、入社して思う僕の紳士淑女の解釈は、「他人に対して思いやりを持つ余裕があること。
そして服装やTPO等のルール、礼節などの背景(重要性)を理解し、体現している方」を指すと思っています。
もし哲兵さんが新入社員やスタッフから「紳士淑女とは?」と聞かれた際、どのように回答するかをお聞きできますと嬉しいです。
まずお前が紳士になれよ!と言われそうですが、私が考える紳士淑女はこのようなイメージです。
- TPOを把握すること
貴君の認識通り、Time Place Occasionという言葉を広めたのは故・石津謙介氏ですが、現代においても非常に重要ですよね。いつ、どこで、どういった場で、何を着て、どう振る舞うかほど重要なことはないかもしれません。
お洒落とは、あくまでTPOがあって、その範囲内で可能な限りの個性を演出することなのですが、「己」や「俺流スタイル」がTPOより前面に出てしまうと、全てが台無しになってしまうこともあるのです。
- 自然や変化を受け入れること
人間は誰しも例外なく、生き、老い、病み、そして死を迎えます。仏教ではこれを四苦(さらに四つを足すと四苦八苦)と言うそうですが、誰しもが避けられないこの変化に抗(あらが)わないことでしょうか。
具体的には、無理のある若作りをしない方が良いと思いますし、特に(著名人でもない)男性の白髪、薄髪などはそのままにしておくのが良いと思っています。私もそろそろ50歳を迎えるところですが、まばらに生えている白髪はそのままにしています。
- 所作が美しいこと
これは非常に難しいのですが、食事のマナーや(*もう1人の創業者との対話)、お箸・お茶碗の持ち方に始まり、私が見てきた紳士淑女の方々は、なるべく大きな音を立てないで行動(食事はもちろん)しているケースが多いように思います。
ゴルフ場では、たまに驚くような紳士な方がいらっしゃったりしますが、プレーはもちろん、レストラン、洗面所やお風呂場などでの所作が実に美しい。変な音を立てず、静かに、堂々、悠々としながらも、それなりにスピーディーな動きをしていらっしゃることが多いように感じます。
反対に、手を洗った後の洗面所が激しく水浸しになっていたり、「暑い!暑い!」と大声で連呼したり(分かっていてゴルフに来ているはずです)、大きな音を立てて鼻をかんだり、大袈裟な動きでタオルで顔を拭いたりする方などもいらっしゃいます。
Q4.「自我への執着を捨てること」と「禅」の解釈について
哲兵さんのブログを拝見した際に、目に留まった言葉です。
その際のブログには、会長とのエピソードが記載してあり、個人的にはイメージがついた感覚でおります。(会長とお会いしたことがあるがゆえに)
しかし、今のスタッフはどうなのか。恐らく理解は出来たとしても、深く考え、答えを導き出すような
「自身への問いかけ」までする人は少ないのではないかと思います。
哲兵さんにお話しいただく「禅」についてもまだまだ学びが足りない状態ではありますが、
「自我への執着を捨てる」と「禅の考え」はどこか近しい、関係のある話なのかなと感じております。
こちらについて、どのように捉えていらっしゃるか、お聞きしたいです。
貴君はすでにお答えをお持ちじゃないですか!
禅の教えや大きな目的の一つに、自我への執着を捨てることがあるのだと思います。かつて、スティーブ・ジョブズがiPhoneやMacBookのデザインに禅の思想を取り入れたように、そこには「マイナス」する精神が息づいています。
世界は資本主義へと向かい、人間の危機感を煽りながら、本来必要のない投資や投機を行うことやお金を稼ぐことを推奨し、必要以上に美味しい物を食べたり飲んだりすることを正解として、これを「幸せになること」と定義しました。
なんでもかんでも「プラス」していくことを求める中で、体や精神の病気は増加の一途を辿り、いつの間にか「社会全体が病んでいる」時代が到来していることは、貴君もご存知のことと思います。
ロッキード事件で有名な小佐野賢治は、推定10兆円もの資産を持って69歳で亡くなりましたが、あのロレックス創業者のハンス・ウイルスドルフは、79歳の時に自身が作ったハンス・ウイルスドルフ財団に、数十兆円とも言われていたその全ての財産を後世のために寄付しました。
ハンス・ウイルスドルフが仏教のことを知っていたかは分かりませんが、バークシャー・ハサウェイのウオーレン・バフェットにしても、
「人は何も持たずに生まれ、何も持たずに死ぬのだ」
という仏教的な思想(人間としての本質)を持っていたのだと思います。
私もまだ48歳の若輩者ではありますが、何よりも「時間」こそが全ての人に与えられた唯一の資産であり、財産であるように思います。もしかしたら、小佐野賢治は、10兆円払ってでもあと1年生きていたかったかもしれませんが、ハンス・ウイルスドルフの人生には、一点の後悔もなかったでしょうね。
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