Q&A vol.1
「私はこう思う、私はこう感じる」ということを素直にお伝えしたい。
今、これを書いているのは2025年10/31(金)の早朝である。
このブログは、鎌倉シャツ人事部の肥合直紀や若手社員などの質問(Q)について私なりに答えを考えて、皆様に共有させていただく(A)趣旨である。
私の回答が合っているとか、間違っているとかという話ではなく、「私はこう思う、私はこう感じる」ということを素直に正直に、
この場を通じてお伝えすることで、皆様にとって何かのヒントになったらそれに勝る喜びはないわけなのだが、
もっとも、私自身が回答を出しながら思考の整理や、学びに繋がっていることは申し上げるまでもない。
さて、早速本題に入ってみることにしよう。
Q1. 鎌倉(ローカル)の文化とそこに住む人々の生活、人間性についてどのように感じていらっしゃいますか。
鎌倉についてということで、山の文化、海の文化について触れる機会は少しずつ増えてきている感覚でいますが、
鎌倉にいる「人」について、まだまだ触れられておらず、興味を持っています。
言語化があまり出来ませんが、鎌倉に住む人は、どこか余裕があり、楽しそうかつエレガンスを持っている、
そして鎌倉に誇りを持っている、鎌倉にいることが幸せに感じている、そんな感覚を持っており、それがなぜなのか?
「鎌倉で生きるとは何か?」について、深く追求したことが無いため、質問としてあげました。
私が鎌倉に戻ってきて、改めて鎌倉に住む人々を見ていて思うのは、あくまで千差万別であることを感じています。
こう言ったら身も蓋もないかもしれませんが、鎌倉に住んでいる人で、その素晴らしさを認識している人と同じくらい、鎌倉について全く思いを馳せていない方、その良さに気付いていない方もいるのです。
鎌倉に住む人は、どこか余裕があり、楽しそうかつエレガンスを持っている、そして鎌倉に誇りを持っている、鎌倉にいることが幸せに感じているという方々は、おそらく、必ずしも鎌倉でなくても世界中どこでも輝き、人生を楽しむ術を心得ていらっしゃるように思います。
一方で、鎌倉に住んでいてその良さに気付いていない人、何も考えずに生きている方々もご本人たちは幸せかもしれませんが、それは貴君が考えるイメージとは違っていらっしゃるように思います。
つまり、大切なのはその人が住んでいる土地や所縁のある土地の素晴らしさに気付いているか、そうではないか、に尽きるような気がしています。
鎌倉だけでなく、日本全国どこでもその素晴らしさや美しさがあり、その真実に気付くことだけが、人生を輝かせるために最も重要な要素となっていくのだと思います。
「自分の中にすでにあるもの」に価値を見出している人が、もしかしたら、鎌倉や湘南に集まってくるのかもしれません。
禅の聖地ですしね。
Q2. 体験を通した感性を磨く機会が少なくなっていることについて、どう考えていらっしゃいますか。
これは、現代の課題だと感じています。現代の社会はスマホが身近にあることや「発信」が当たり前な時代だと感じています。
哲兵さんの入力と出力についてお聞きした際に、世の中で起きている常日頃の情報「発信」と「受信」が僕の中で重なりました。
特に2025年にはAIが発達し、分からないことがあれば調べるよりAIに聞く(調べさせる)という流れが当たり前になり、
人に聞くことはおろか、Face to Faceさえ重要視されないようになっていると思います。
その流れが結果として「体験という五感を刺激するもの」からどんどん離れている、離れさせている、そんな気がしています。
※養老孟司さんの仰る「柔らかいという人間の五感でも大切なものを忘れてしまっている」というのがどんどん加速してしまっている様なこの世の中で、
本当に目を向けていくもの、大切なものは何か、ここについて深く考えたく、質問しました。
貴君の考えていらっしゃることに心から同意します。今の世の中で、私が最も大切にしたいと思っているのは、やはり「入力」になるような気がしています。
「良い入力があれば、まあ、出力はどうにかなるでしょう」──そんな気分でして、あまり深刻にならずに日々を過ごしている感じです。
ご存知の通り、今はSNSやコンプライアンス遵守全盛で、基本的には「監視社会」になってしまっています。良い入力をするにも「人の目」や「空気」を優先して生きていかなければならず、それは私とて例外ではありません。
実は、コロナが始まった頃、SDGsというキーワードを傘に「経済活動」を活発化させていく多くの方々にお会いしました。SDGsを語る前に、「人間は地球上の一つの生物に過ぎない」という本質に迫り、実践していくことが重要です。
環境破壊は、人間が余計な「経済活動」さえしなければ起こり得ない本質なのですが、誰もが原始時代の生活に戻りたいと思っているわけでもありません。
話が逸れてしまいましたが、人間を動物の一種、地球を構成する一要素に過ぎないとしたら、どのような行動になりますかね。海に入ったり、山登りをしたり、自然と戯れる。
そして、もちろん原始時代というわけにはいかないので、経済活動もしっかりと行い、両者をバランスさせる(入力)のが良いと思います。
「体感が大事なんだ!だから、自然と戯れ、木の建物に触れてないとダメなんだ!」などと力まずに、現代人だからこそ許された両者(自然と経済)を自由に行き来するのが良さそうですね。
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