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鎌倉シャツもう1人の創業者との対話 Vol.7

鎌倉シャツ副社長でディレクターの貞末哲兵が、創業者である母・貞末タミ子について語ります。

2024.06.03 貞末哲兵コラム


今これを書いているのは2024年の5/9(木)の7:00を少し回ったところで、北鎌倉のVERVEには私しかいない。


北鎌倉は、神聖な山が醸し出す美しい空気が特徴的だが、ご存知のように鎌倉には海と山の両方がある。

日本は四方八方、「海」に囲まれ、国土の75%は「山」であることから、これらは何も鎌倉だけの特権ではない。




しかし、海には「ビーチ・カルチャー」と、山には「歴史ある寺院が持つ文化」の双方を持っている場所は、世界的に見てもあまりないのではないだろうか。

私は鎌倉で生まれ育ったため、全てが当たり前であり、慣れ親しんでいた為、この場所が特別だとは考えたこともなかった。

小さい頃は、鎌倉でも屈指の歴史を誇るお寺である明王院で「公文」の勉強をし、夏休みは祖父母が経営する海の家で「つぶつぶオレンジ」と「焼きそば」が楽しみだったが、他の人々も全く同じで、全世界の幼少期というのはそういうものだと思っていた。




あまりにも当たり前に鎌倉にいると、(それは楽しかったが)本当の意味での有り難みを感じることもなく、なんとなく大人になってしまったのである。

私にとって鎌倉は当たり前の街でしかなく、特に光り輝いているわけではなかったし、素晴らしい自然と文化を意識したこともなかった。


20歳くらいから鎌倉を出て下宿をしたり、イタリアや都内近郊に住んだりと、東京から世界を狙い、ヨーロッパなどを飛び回る日々が続いた。

忙しい日々を過ごしていた最中、コロナが急にやって来て、大きなパラダイム・シフトと共に、時代が変わり、全ての人の価値観の変更を余儀なくされた。

そして、緊急事態宣言によって、人流や物流が分断され立ち止まった時、光り輝いていたのが「鎌倉」であった。


都内近郊から鎌倉に通う日々が続いた。 

そこは世界中でどこよりも輝き、これからの未来を暗示しているかのようだった。


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鎌倉シャツのもう1人の創業者である貞末タミコは、コロナがあろうがなかろうが鎌倉を愛し、そこから何かを発信しようとしていた。

それまでドレスシャツ一辺倒だった鎌倉シャツに「134」というカジュアルのレーベルが立ち上がった時、もう1人の創業者は素敵な詩を書いてくれたのだった。





「その昔、湘南の海辺はまだルート134もなく広い広い砂浜だった。それは今のように硬くて真っ黒な泥の砂浜ではなくて、白くてサラサラの綺麗な砂浜であった。


そして砂浜の端には松林があり、せみの鳴き声とともにトンボも飛んでいて子供たちは時には虫を取って遊んだものだ。

それから10年経つと逗子葉山から茅ヶ崎の方まで海辺を走る高速道路が出来た。

一応、高速道路なので通行料金は30円だった。それとともにかつての砂浜は消えて行った。

その道路は「湘南道路」と言われ、お洒落なアイビースタイルの若者が、当時到底手の届かない贅沢な車を走らせて、海やそれから海辺の洒落たレストランに出没した。

人々は彼らを湘南ボーイと呼んだ。

いつのまにか、この海辺の道路は、現在の国道134号線と名付けられた。

最近、日本の男性、特にビジネスマンのスーツ姿がとても美しくなった。でもそのスーツ姿と海や山でのスタイルに大きなギャップを感じることがある。

今や、ビジネス・スタイルでは、ニューヨークマディソン街のビジネスマン(通称Mad Men)に引けを取らないのに、カジュアル・スタイルはまだまだで、とても残念だ。」




10年以上前に書かれた物だが、今読んでも全く色褪せることなく、鎌倉シャツが世界で活躍するビジネスマンを応援するミッションにゴールはない。

ビジネス・スタイルはもちろん、普段着のカジュアル・スタイルにおいても。



つづく

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