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鎌倉シャツもう1人の創業者との対話 Vol.2

鎌倉シャツ副社長でディレクターの貞末哲兵が、創業者である母・貞末タミ子について語ります。

2024.04.10 ブログ


何か行動を起こせば、何かが起こる。
何も行動しなければ、何も起こらない。

最近始めているいくつかのブログ(行動を起こす)に感想などをいただくこと(何かが起こる)もある。


なぜこのようなブログを書いているか?

ノスタルジーに浸っているのではなく、鎌倉シャツの精神やアイデンティティは創業者から今の我々に引き継がれていると思うが、私がブログを書くことによって、「何か違った形で彼らの哲学や想いを残すこと」が出来るのではないかと思ったからである。
人間の命は永遠ではなく、生命を授かっているモノで死から逃れたケースは今のところない。(そのうち脳がクラウド化されたりして)
禅の本には死について多く書かれているが、「今日生きることは今日死への準備をすること」に他ならない。

いくつかのパターンで創業者達の精神を文章として残したいと考えている。



さて、もう1人の創業者、貞末タミコとの対話を書いていると必然的にファッション寄りの話になってしまう。

前回登場した10代の頃の「ブラックウォッチ」のバーミューダパンツだが、後年になってもよく彼女が愛用していたのが、ブラックウォッチやタータンチェックのスカートだった。






「そうそう、紺色とグリーンのチェック、いわゆるブラックウォッチのプリーツスカート、それに竜の落とし子のワンポイントがついた白いシャツ、それにブラックウォッチの傘までさして喜んでいました。
これは横浜元町にある「フクゾー」のもので大人気でした。
当時でもスカートが5000円くらいしていました。
そして靴はコインローファーです。VANが登場する前のことですからかなりトラッドだったのかもしれません。」

(コラム「お洒落を意識した幼い日のこと 青春編」より一部抜粋)


ボトムがチェックの場合は、当然トップスは無地になるのだが、人間の視覚は基本上にくるので、下だけが少々派手でも問題にならない。つまり、ボトムにチェック、トップスに無地を持ってくるのはどことなく目立つ「地味派手」になるのではないだろうか。

と、この文章を書きながらそのこと(ボトムのチェックは地味派手)を再確認することができたのだが、私も高校生の時にブラックウォッチのトラウザーズをよく身に付けていたことを思い出す。ブラックウォッチのトラウザーズに白のタートルネック・セーター、Pコート(もしくはダッフルコート)というスタイルだったが、今も着てみたい服装である。


貞末タミコの人生の座右の銘である「地味派手」なファッションは、特にフランス人が得意(日本人は和服なら出来るが洋服は苦手)としているように思う。

特に「フレンチ・トラッド」と呼ばれるファッションは、「アメリカントラッド」と「クラシックな英国」をフランス流に解釈したものだ。
フランスの国旗であるトリコロールの語源は「3色の」という意味だが、あの美しい白、ブルー、赤を使った「マリン」なファッションは彼らの得意とするところなのは言うまでもない。それに加え、バスクシャツやボーダーなどは主にフランスを起源とし、マリンファッションの代表格でもある。
つまり、マリンなカラーリングやボーダー(派手とする)、そこにアメリカを起源とするボタンダウンや、英国を起源とするブレザー(地味とする)などを合わせば「フレンチ・トラッド」(地味派手)は完成するのだ。

まさに、少しだけ派手なフレンチ・テイストに、アメリカやイギリスのクラシカルでごく普通のアイテムを合わせるのは地味派手であると思う。


「地味派手」は、彼女がビジネスを展開していく上では何としても成し遂げたい夢でもあった。

だが、シャツはともかく今でこそ地味派手なネクタイが並ぶ鎌倉シャツの売り場は、創業当時、地味一辺倒だった。
当時、選択肢はなく日本の着物をルーツにしたような和テイストのネクタイしかない売り場に、彼女は嫌気が差していた。これでは、「地味派手にならないじゃない」と本能的に分かってはいるもののどうしていいか分からない。

そこで、彼女はツテもなく情報もなかったが、イタリア・フィレンツェで毎シーズン行われるメンズのプレタ・ポルテ最大の見本市である「PITTI UOMO」に向かったのだった。


(つづく)

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